嘗て、僕の薬局を担当していたセールスが、代理で配達にやってきた。数年間担当してもらっていた彼が感慨深げに言ったのは「この辺りを回っていた頃は、本当にやりやすかったです。皆親切でしたから」と言う感想。どの辺りと比較しているのかと思い訪ねてみると、岡山市の東部らしい。「結構きびしいですよ」と、迷いながら答えてくれた。  郡部でのんびりと仕事をしていると、セールスの方に文句を言ったり、厳しく言ったりすることは少ない。それは、患者さんやお客さんから僕らが厳しく言われたり文句を言われたりすることが少ないことと連動している。やる方ない鬱憤は、強い方から弱い方に流れる。どこかで塞き止めるのはかなりの精神力を要するから、安易に弱きに流してしまう。  こんなに情報が錯綜しても、地域性と言うのは歴然と残っている。どんなにインターネットが発達しても体温や鼓動は伝えることは出来ない。風のそよぐ音、打ち寄せる波の柔らかさ、畔に腰を下ろす農夫の皺。地域とは、肉声でしか伝えられないものなのだ。刃物のような言葉、凶器の視線、都会は戦場だ。弱いものは撃たれ消え去る。  丁度良いところに来たと、すいかとももを持って帰ってもらった。「食べ助け」一度に沢山いただいた時食べきれなくて腐らせてしまうのが申し訳ないから、もらったものを配ることを言う。共通語かどうか知らない。牛窓に帰ってきて覚えた言葉だ。物を上げる時にも謙遜であるようにとの配慮のような言葉だ。僕はその言葉を拝借してセールスにことづけた。本当はあの桃は今夜狙っていたのだが。でも、折角の彼の郡部の評価を変えてはいけないから、泣く泣く桃も持って帰ってもらった。