一昨日、我が家の長女みたいな女性が関東の方に帰っていったかと思うと、今日は末娘みたいな女性が西の方からやってきた。この女性は、以前日帰りでやってきたのだが、今日はしっかりと泊まれる荷物でやってきた。他人の家に泊まるのは初めてらしい。もうこれだけで明かに進歩だ。  夕食に、ビールを2本飲んだせいか、僕は妻や娘と彼女が話している食卓の下で、床に転び寝入ってしまっていた。今目が覚めたのだが、まだ妻と彼女が話していた。1時間半くらい寝ていたことになる。他人の彼女がいる事がまったく気にならない。どの子が来ても気にならないが、彼ら彼女らの行く末だけは多いに気にかかる。  彼女は絵がとても得意な人で、それを職業に生かそうとしている人なのだが、丁度夏休みの宿題に難儀している親子を知っていたので紹介した。姉妹でやってきて神妙に教えを乞うていた。僕は全く絵の心得がないので、近寄らないでいたが、時々彼女の声が聞こえる。彼女は言葉で教えていた。絵を言葉で教えるとはどのようなことなのかと興味を持っていたが、なかなかその道の人ではないとでない言葉が彼女の口から出ていた。絵を描くことも僕には出来ないが、絵を言葉で指導するなんてことは専門外の僕にとっては、驚きの一言に尽きた。もっと、驚いたのはその結果としての姉妹の絵がとても素晴らしかったことだ。彼女が手を直接加えたのかと思った。迎えに来た母親も驚いていた。  確かに、彼女もまたおなかについての不安で青春を棒に振りつつあった。しかし、子供達に教えている姿を見ると、いかにおなかが彼女の人格の一部に過ぎないか良く分かる。いっぱいの長所を持っているのに、たったひとつの思い込みで、青春を捨てている。最大の欠点が、最高の長所であることにも気がつかない。ビールを飲んで床の上でだらしなく寝いっている人間が、漢方薬を作っている。人並みに白衣は着ているがそのだらしない姿こそ又僕の真実だ。緊張と弛緩をうまく織り交ぜながら、なんとか生きていくのが僕ら普通の人間だ。頑張らないで、気張らないで。人は変わらないまま変われる生き物だから。