寄り道

子供が親に無条件に愛されるってことは、実際にはかなり難しいのだろう。実際に腹を痛めた母親だって、母性が育たないのに、ある日突然やってきた赤ちゃんを、父親が愛せれるはずがない。親が確かな人生の価値に向かって努力しているならいざ知らず、親は親で精神の路頭に迷っているのだから、子供がしっかりと育つはずがない。  学校に行けと言われれば、おなかが痛いと言えばいい。勉強しろといわれれば、おなかが痛いと言えばいい。体調は具体的に客観的に表わせれないから都合がいい。おなかが痛いことが唯一自分を守ってくれる。生きていくにはしかたがない。うその一つや二つ。そのうちどれがうそでどれが真実かもわからなくなる。うそでうそを埋めれば、真実のように見えてくるから摩訶不思議。  人を傷つける勇気が無いから自分を傷つける。傷ついてしまえば、復活の要請の声も小さくなるので、見せかけの自由が手にはいる。信じるひとが一人もいない時空の中で、精神は浮遊し続ける。  はじめに愛が少し足らなかっただけなのだ。はじめに風が吹かなかっただけなのだ。はじめに波が打ち寄せなかっただけなのだ。はじめに雲が流れなかったけなのだ。はじめに森で鳥が鳴かなかっただけなのだ。ちょっと、個性が寄り道しただけなのだ。