言葉

関東から、今日2泊3日である女性が訪ねてきてくれている。今まで来てくれた人達と異なるのは、彼女はすでに克服した人だってことだ。今までの人達は、症状が最悪の時に訪ねてきてくれている。だから、話しは勢い、症状の説明、背景、原因究明、処方などと、治療に関したことが多かった。ところが彼女はもう過去このことになっているので、その種の話題にはならない。  健康以外の話題なのだが、彼女がいかに当時、多くの言葉を持っていながら封印して暮らしてきたかよく分かる。苦難の日々に多くの言葉を熟成させていたかよく分かる。食卓で妻を相手に話している彼女の横顔を見ていて、隊列を組んで出てくる言葉が、彼女を一際輝かせていた。想像力を働かせても、彼女の当時の苦痛の片鱗にも届かないだろう。彼女を見ていると当時、電話口の向こうでまるで別人のような表情で話しかけていたことは想像しにくい。  彼女と話していると、過敏性腸症候群の治療で示唆に富んでいることが多い。ああ、だからこの人は治ったのだという共鳴するところが多い。日頃僕が感じていたことをまさに彼女が指摘してくれたり、共感してくれたりする。僕の果たした役割はたいしたことではない。ただ、僕は他の人と同じように、彼女にも完治して欲しかっただけなのだ。彼女が訪れてくれたことが、他の人の役に立てれたら幸いだ。