学会

 息子は、車で1時間の距離に住んでいるが、滅多に帰ってこない。忙しいのもあるが、帰ってもすることもないのだろう。12年間で1日も我が家で寝たこともない。でも、それはそれでいいのだ。僕は彼がどのくらい多くの人の役に立てれるかを基準に、援助してきた。僕ら親に何かをしてもらおうなんて考えたこともない。  娘が帰ったのをきっかけに久しぶりに会った。風の便りに彼が、かなり人様の役に立っているのを聞いたから、そして彼自身の健康を逆に心配してもらっていたから様子を見てみたいと思ったのだ。  一番驚いたのは、彼がビールを注文して飲んだことだ。あんなにリラックスしているところを見た事がない。これは嬉しかった。孫に「お父さんのお仕事何か知っている?」と尋ねたら、「学会でビールを飲むこと」と答えた。これも嬉しかった。いつも張り詰めたように見えていた彼に、かなりの余裕が出てきたのだろう。  今日娘がはじめて、僕がお世話をしている漢方の勉強会に出席した。そこで、誤燕性肺炎といって、食べ物を気管に入れて肺炎を起こす病気の処方を習った。そのことを息子に言うと、早速ある患者さんに使ってみようと言った。繰り返し罹患している方がいるらしい。漢方処方を利用してでも、それも新米の妹が習ってきた処方をとり入れてでも、患者さんを救いたいと思っているのだろう。受験のプロには決してなれなかったけれど、治すことの熱心さでは、圧倒的に看護師さんや患者さんの支持を得ているらしい。入院患者で息子の担当になったら運がいいらしい。これは彼がクリスチャンであることも影響しているかもしれないが、おそらく、ある挫折が大きく彼を成長させたのだろう。僕はその挫折を経験した後はじめて、彼が今の職業についていいと思った。それまでは、これでいいのかと不安の方が大きかった。  コップに半分水が入っている。「半分しかない」と不満を言うのか、「まだ半分もある」と感謝するのかで、人の生き方は大きく異なってくる。手に入れたとき感謝出来るのか、まだ足りないのかで、手に入れたものがよいものかどうかが分かる。多くを持つことが人生の目標ではない。これでもかこれでもかと、企業は消費を煽るが、持つことで満たされるようなことはまずない。これだけは断言できる。