応援団

 岡山駅で車から降りた彼女に妻はいつまでも手を振っていた。姿が見えなくなってから車に乗り込んで開口一番「いい子だったね」といった。「又娘が一人増えた」とも言った。まるで同感なのだ。子供達が巣立ってから、次々と縁のある若者と出会うことが出来て、僕らは幸せ者だと思っている。訪ねてきてくれる人や、訪ねて来れる距離ではない人それぞれだが、心も身体も十分まだ力を出し切っていない人達のお手伝いが出来るのは、僕らに存在理由を与えてくれる。世間には、僕らの到底手の届かないレベルの善意が溢れているが、その何百分の一でも真似をさせてもらえれば嬉しい。全く畑違いではなく、職業の延長でしかないから、善意とも呼べないものなのだろうが、今僕らに出来ることはこれしかない。  その光景は圧巻だった。フィリピンの人達と、まるで日本人同士の会話のようなスピード、感情移入で楽しそうに話していた。感激したフィリピン人のおばちゃんがいつになく興奮してまくし立てていた。そのおばちゃんの嬉しそうな顔も印象的だったが、何も臆することなく顔を見つめて話す彼女も素晴らしかった。体調不良、自信の喪失が僕と彼女を結びつけたのだが、秘めたる能力に僕の方が圧倒された。まるでネイティブのように話す言葉は僕の耳には心地よかったが、何をお互い話し合ったのかまるで分からなかった。後で教えてもらったのだが、おばちゃんは彼女に一生懸命勉強したら世界で活躍できるよと話していたらしい。その瞬間まるで母親だったのだ。  3階の部屋は当分彼女の部屋にする。2時間、2000円で来れるのだから大都会の夜景が孤独を強いるのなら逃げてくればいい。薬局の奥の事務室で勉強していた光景は、嘗て長期の休みに戻ってきていた娘と全く重なる。田舎のおじさん、おばさん、フィリピン人のおばさん、フィリピン人の青年。みんな彼女の応援団だ。