民間薬

 訪ねてきたのが全員田舎の素朴そうなおばちゃん達ばっかりだったので、まんざら嘘には思えない。 その朝数人から同じ内容の電話があった。ある民間薬がないかという問い合わせだった。全員が隣の町の人達でまるで示し合わせたようだった。スーパーなんかでも売っていると思うのだが、漢方薬局のでないといけないらしい。こちらの方が恐縮してしまうが、漢方薬ではないので、何処でも同じではないのとこちらの方が逆に適当だ。  朝早くから、電話を頂いた方々がそれぞれ取りに来た。どうして皆さんが欲しがるのか何人目かの人に尋ねてみたら、近所の方で癌を患って闘病していた方が、癌細胞が消えて完治したらしいのだ。おばちゃんの表現を引用すると「どうなっているんだこれは」と医者が驚いたそうだ。病院の名前もこのあたりでは通っているところだから作文ではないように感じた。彼女たちの近所の人だから闘病していたのも事実だろうし、完治したのも事実なのだろう。その方が服用していた民間薬を近所の人達に勧めるだけではその方に経済的なメリットはない。話の中にいわゆる意図的なものがないのだ。  この種の話で不謹慎な商売が横行しているのは最早ありふれた日常の光景だ。不謹慎な方がむしろ「正しくて地道」より正当にさえ見える。僕がその気になればこの田舎の心温まる幸運を商売のネタにし、暴利をむさぼることはできる。過大に宣伝すれば疑うことが苦手になったこの国の人は簡単に騙すことができるから。勿論僕はそこまで勇気がないから、この民間薬の名前も明かさない。癌も時に自然治癒が起こることもあるらしい。何十万分の一か何百万分の一か知らないが、宝くじみたいな確率をまさか一般論にはできない。 おばちゃん達の希望を砕く必要もないし、昔から服用されている安い滋養剤だから拒む必要もないので快く販売したが、民間薬なんて漢方薬とは違って所詮、何年、何十年と飲み続けて効果を実感するものだ。どなたも元気そうな人達ばかりだったが、その効果を待たずしてその果実を手にしている人達ばかりのように見えた。元気な人ほど元気になる、どの世界でも同じだ。