セシリア聖歌隊

 いつも聖歌隊の中心で歌う女性が、一般の信者が腰掛ける席にいたので、又、20人を超える侍者服(全身を緩やかな白い生地で覆う)の集団がいつもの聖歌隊の席に陣取っていたので、何となく違和感を感じてミサの始まりを待った。時間を告げる鐘の音を合図に突然、聖堂の中に重厚な合唱が響いた。岡山カトリック教会は大きな聖堂だから数百人が入れる。その空間をまるで隅々まで埋めるように清らかで時に力強い混声合唱の歌声が響いた。クリスマスの夜、バチカンの映像が流されることがしばしばだが、映像と共に荘厳な歌声が聞こえる。まるでその映像と共に流れる合唱のように、いや寧ろそれ以上に神を讃美する心が響いてくる。 僕は今日のミサが、まるでプロの合唱団のような歌声と共に始まることなど知らなかった。教会にいつもの時間にいれば近くに住む息子がいつでも会いに来れると思って皆勤で出席しているが、大勢の中から息子を捜すことも忘れるくらい感動的な合唱が続いた。ミサの中でその集団が、韓国の釜山にある中央カトリック教会のセシリア聖歌隊であることが紹介された。余りにも上手すぎるので、と言うのは静かな祈り歌から急に雄々しい旋律に移る所など、まるで第九の合唱を生で聴いているのを彷彿さるくらい迫力があったが、パンフレットを求めて見みてみると、なんと60年以上の歴史を持っていた。とても一教会の聖歌隊とは思えない実力だったので納得した。 今まで30年以上、勝手に潜り込んでいた期間がほとんどだが、今日のミサに優る感動は経験がない。なんて幸運なんだろうと正直思った。こちらからわざわざ訪ねて聴かせてもらうほどのレベルだと思ったから。聖歌がこんなに素晴らしいものとも思わなかった。以前通っていた小さな教会で、オルガン弾きを担当していた女性が、聖歌が好きで教会と繋がっていると言っていたが、彼女の言っている意味が今日初めて理解できた。音楽としても完成しきっている。今日のミサの案内がその小さな教会にも届いているのかどうかわからないが、僕以上に感動する人達がそこにもいるはずだ。その人達にも是非聴かせてあげたかった。