転機

 「心が自由になれば、健康は後からついてくると先生が言ってくれたことが大きな転機でした」数年ぶりにお土産を持って訪ねてきてくれた女性が、当時を振り返ってそう言った。僕はその言葉を覚えていなかったが、彼女は片時も忘れなかったらしいのだ。 若くて美しいはずの当時の女性は、真夏なのに真冬のような服装をして目の焦点は合わず、ろれつも回らず、接近しないと聞き取れない小さな声で苦しみを訴えた。最初相談に来たときは、絶対薬局の守備範囲ではないと思ったが、懸命に話をしようとするそのいたいけな姿に心を打たれて、僕は介入しようと決めた。従来なら統合失調症は、病名を聞いただけで薬剤師の能力を超えているから断っていたが、攻撃的な症状がないばかりか、自責の念ばかりのその女性が気の毒で、何かお手伝いが出来るのではないかと思ったのだ。 無理に短い日数で薬を取りに来るように設定して、毎週一杯話をした。薬が効いているのか、信頼関係が成立して何でも話してくれることが効いたのか、ゆっくりとしかも確実に改善していった。彼女は病院の先生をとても信頼していて、又病院の先生が漢方薬を飲むことも快く許してくださったこともあって、先生が驚くような改善をしていった。  いつもご両親が付き添っていたが、そのうち自立していった。幻聴に苦しめられることがなくなった辺りで、漢方薬を止めて僕とも縁が切れた。  どうやって来たのと尋ねたら自分で車を運転してきたと言う。見ると大きな車を運転していた。人が恐くて何処にも行くことが出来なかった人が、車を運転して自由に出かけているらしい。嘗てとは見た目にも別人のように生気に溢れていて、言葉遣いも丁寧で、気配りに余念がない。僕は近しい関係の人の想像を絶する攻撃によって心の病気を発症した人を沢山知っている。それによって呈した症状によって、鬱とか社会不安障害とか、統合失調症とか諸々の病名をつけられているが、それらが作られた人為の病気であることを知ってから、どれも治るものではないかと楽観的に考えている。特に彼女が地獄から脱出するのをつぶさに見せてもらってから、そうした自分の想いが、素人とやゆされるかもしれないが、正しいと確信している。ただ当然ながら、躁状態とか攻撃型の人は専門医の力以外にはアプローチは不可能だ。力量をよく認識した上でのお世話が大原則だ。 僕の非力な力をすべて傾けよと言うような患者さんが毎年必ず来てくれる。この人だけはなんとしてもと、心の奥底で奮い立たせてくれる方が来てくれる。自分がどうして生きていけばよいか、何がしたいか分からぬままにいたずらに時間を無駄に生きてきた僕だからこそ、そして選んだ道がことごとく裏目に出た僕だからこそお世話が出来るだろう方が来てくれる。すべての裏目がこう言った方との巡り合わせに通じていたのだと、今はその裏目に感謝している。王道を歩んできた人には決して巡り会えない、心優しき普通の人達、いや優しすぎる心の持ち主に会える。これ以上の生かされ方があるだろうかと、振り返って肯定の山を築く。否定の連続が肯定に転じるきっかけを与えてくれたそれらの方々に感謝する。 田舎の薬剤師が他人の人生を救うなんてあり得ない話なのかもしれないが、田舎だからこそ出来ることもある。この田舎に帰る羽目になることこそが僕の最大の裏目だと30年前は思っていたのだけれど。