汽笛

日本人の小学生の女の子が、オルガン伴奏で行き詰まって困っていたところ、ベトナムの青年が出てきて楽譜を見ながら、両手でベースとメロディーを弾いた。さっきまでのたどたどしい伴奏が一気に軽快なリズムを刻み出した。そっと現れて、いつのまにか少女と交替していた。交替するシーンをみていない人は、急に加わった心地よいベースのリズムに驚いてオルガンの方を見ていた。  僕らが学生の頃、ベトナムの印象は超大国のアメリカに抵抗するジャングルの貧しき勇士くらいの印象しかなかった。しかし、少女と交替し少しだけ体を揺らしながら聖歌を伴奏する青年は、とても穏やかな表情だった。きっと彼の父親、祖父は、ベトナム戦争の砲火の下で生きていたに違いない。彼の血の中に戦いの遺伝子はきっと受け継がれているに違いない。しかし、彼の微笑みは多くの人の心の氷を溶かす力がある。 このところ主に接する農耕民族の国々の人の、純粋な心や態度に教えられたり救われたりすることが多い。それに引き換え狩猟民族の国々の人にはうんざりする。殺戮を好み、富みの集中を画策する。本来農耕民族だったこの国の人も、狩猟民族そのもののように肉を食べ、争いを好むようになった。助け合うよりも出しぬくことを幼い頃から良しとされ、与えることより奪いとることに力を注ぐ。風は海から陸に吹くが、汽笛はもうだれの耳にも届かない。