加川良

 入り口から一歩入ったところで立ち止まり、じっと僕の顔を見て、にやっと笑った。この手の仕草は誰もが思惑は同じで、「さああててごらん誰だったかな」と言っているのと同じだ。その手の誘いに容易に乗ってしまう僕はさて誰だったかなとすぐ考え始めた。一番最初に浮かんできたのは僕の幼友達だが彼が薬を取りに来ることはない。全部奥さんの仕事になっているから。この間1,2秒だっただろうか。その次に浮かんだのが、僕らの時代のヒーローのフォーク歌手、加川良なのだが、かれこれ30年近く見ていないがここまでは貧相にならないだろうとすぐにうち消した。このヒントで思い出した。もう20年近く会っていない○○君だ。これは自分でも正解だと思ったし、その瞬間僕の心は当時にタイムスリップしたので、確かめるまでもなくすぐに話が弾み始めた。 当時、誰がきっかけになったのか忘れたが、津山あたりから一風変わった人達が沢山流れてきた。そして何がきっかけになったのか牛窓あたりの一風変わった僕と親しくなった。仕事が終わると毎晩のように彼らが牛窓でアジトにしていたボロ家に集まり、ギターを弾いたり、くだらない話をして楽しんでいた。  彼が牛窓を去った後、送電線の工事に携わっていると聞いたことがあった。脚立の上でも震える僕からするとほとんどヒーローに近いから、まずそれを確かめてみた。やはりそうだった。「勇気があるなあ」と感心すると「馬鹿は下から扇がれると上へ上へと登るんよ」と照れ笑いしていた。彼が牛窓にいる頃、どうして暮らしていたのかも気になったので「あの頃自分はどうして食っていたんだたっけ?」と尋ねたら、くだらない仕事を色々やっていたと言った。具体的には何もあげなかったから本当にくだらないことをやっていたのだ。そう全員がくだらないことをしていたように思う。何故かミュージシャンが多くて、ギターを自由に操るのを見ていて羨ましく思っていた。彼もその中の1人でブルースを弾かせれば素人の僕など羨望の眼差しを送らなければならなかった。  仕事の合間を縫って、勿論牛窓にも送電線に登るために来たらしいのだが、やって来てくれたので、急いで多くを喋った。元ミュージシャンの彼に是非尋ねてみたかったことがあったので、それを口に出すと意外な答えをしてくれた。音楽とは一番早く手が切れているだろう僕が、実は毎週フィリピン人のコーラスの伴奏をしていると聞いて彼は驚くと共に羨ましがった。僕のギターで歌ってもらうのは気が引けると彼にうち明けたのだが、伴奏で大切なのは、確実にリズムを刻むことでテクニックではないと言ってくれたのだ。ギターが上手い人は段々リズムが早くなって、伴奏には向かないらしい。単純な和音をメトロノームのように刻むのは、それも後打ちで刻むのは難しいから、寧ろフォーク歌手出身の方がリードギターより合っていると言ってくれたのだ。これには勇気をもらった。ああ、今までのように伴奏をしてあげれば、それも後ろめたさなくやってあげればいいのだと思い直した。 どちらが言い出すわけでもなく、あの頃の皆は今では結構まともな人間になっていると言うことになったのだが、彼が面白いことを言った。「それでも一番まともになったのは○ちゃんだろう」と。この○ちゃんは実は僕が親しくしている鍼の先生なのだが、どうやら彼の考えではこの鍼の先生が一番かわったって言うことなのだ。僕に言わせれば目の前にいる彼こそが一番まともになったと思っているのだが、自分のことは誰も分からないのだろう。僕は思ったことは口にするタイプだから「いや一番まともになったのは自分だ」と言うと、どうしても鍼の先生が一番だと言い張った。  当時僕らは、30代に入ったばっかりで、まだ何かが出来るのではないかという気持ちはあったが、なにぶん誰の能力も所詮2流で、マイナーな人間が群れを作って動物園の中で遊んでいたような状態だった。ただ動物園の中は結構楽しくて、30代があっという間に過ぎ去ってしまった。 話ながらも胃を押さえるので生活ぶりは想像できる。家庭を持っているのと尋ねたら持っていないと言う。酒とタバコでおそらく胃に傷を付けているのだ。変わっていないのはこの無頓着ぶり。当時のままだ。この自分に対しても自由な立ち位置が彼の本領だ。不思議と地上数十メートルの足場の怪しげな所での仕事だけは続いているが、生活自体は地面に最初から落下している。いや半分地面にめり込んでいるくらいだ。僕も含めて動物園からその後みんなが離れていったが、それぞれの住処でそれぞれの生き方をしている。特別の才能を持っている人は1人もいなかったが、それでも何かを諦めないでいた。何も手にすることは出来なかったが、園を出てから自分の歩む方向だけはそれぞれが見つけたのかもしれない。 「やまちゃん、まだ漢方薬をやってるの?」偶然彼がいる間に二人の方が漢方薬を取りに来たのを見て彼が言った。まだやっているのではなく、あの頃の助走を今トップスピードにしているつもりなのだが、彼には当時しこしこと漢方薬の勉強会に出席していた僕の記憶しかなかったのだろう。彼が送電線の高所に居場所を見つけたように僕も又漢方薬に居場所を見つけ、○ちゃんも又鍼の治療に居場所を見つけている。カビと便所の臭いが混ざったような狭い畳の部屋に毎夜集まった人間達の「まとも競争」の勝敗が決められないまま時計の針が水を差した。