劣等感

 気がついたら、床の上で2時間くらい転寝をしていた。人並みに連休というものを小さな旅行で過ごしたのでその疲れが出たのだろうか。  医院を経営している先輩夫婦と話している時に、岐阜に来たもう1つの理由を言った。それは、僕の漢方薬を飲んでくれている人達に会う事だった。会えば、幾分でも薬の効果が上がるかもしれないと説明した。勿論相手はプロだから、症状の説明もした。ところが先輩は、僕の説明に「なに、それっ?」って答えた。20年医師をやっている人にも、「過敏性腸症候群のガス漏れ」なるものは初耳だったようだ。どのように僕が漢方薬でお世話をしているかを話した後彼は「交通費は出してもらうの?」と尋ねた。僕はその質問にとても驚いた。勿論僕は自費だし、もし出してもらうなら絶対来ないとも言った。ちり紙交換などのバイトをし、やっと暮らしていた彼の言葉としては奇異に聞こえたが、彼にとっては素直な疑問なのだ。往診料というものがちゃんと法律で保証されている職業だから、素直に問いかけたのだと思う。  僕の取り組みを一通り話すと、(牛窓に招いてお世話したりすること)彼は「まるでキリスト教のようだな」と言った。どのような根拠で彼がキリスト教を口に出したのかしらないが、僕はポケットから十字架を取り出して夫婦に見せた。そのタイミングに爆笑だった。宗教などまるで全否定していた学生時代、劣等生を競う二人だった。先輩が留年し一時同級生になった。その後僕が留年し再び彼が先輩になった。お互いの劣等振りを競うわけではないが、僕が今だ薬剤師の国家試験の夢を見ることを話すと、彼もまた今だ医師の国家試験の悪夢を見ると言っていた。そう言えば僕も、彼も薬剤師の国家試験に合格する方が不思議だった。通るはずのない二人だった。まして彼など35歳で医師の国家試験にも臨んだのだから、その負担は容易に想像がつく。今だ抜けきらないトラウマなのだろう。  「なんで大和がそんなに劣等感を持つの?」と彼が尋ねた。30歳にして医師を志し、若い人の記憶力について行けず、劣等感にさいなまれたらしい。薬大時代の劣等感は忘れているのだろうか。言われてみて気がついた。その共通の劣等感こそ、僕ら二人がそれぞれの場所で、ほんの少々存在を許される共通の地盤なのではないかと。