距離

 あるホテルの喫茶部で、僕とAとBの三人で会った。Aは10数年ガス漏れで悩んでいる。Bは数年口臭で悩んでいる。口とお尻の違いはあるけれど、驚くほど症状に共通点がある。  引きこもりがち。公の交通手段を利用できない。他者に迷惑をかけていると心配する。人と接近した場所が耐えられない。視線が気になる。食事がのどを通りにくい。 人が鼻に手をやるのも、くしゃみをするのも、咳をするのも全部自分のせいだと信じている。  AとBは初対面でお互いを知らないし、ましてお互いの症状なども知らない。個別に僕と会うことを希望したので、僕が敢えて三人で会うようにセッティングした。それぞれは僕と個別に会うつもりだったから、三人になったことに戸惑っていた。しかし僕は意図したことだから、何食わぬ顔をして楽しく三人の初対面を楽しんだ。  2時間くらいたった頃、おもむろに僕は二人の症状をお互いに知らせた。二人とも驚いていた。今まで2時間、至近距離で会話をしていたが、まさかなにか体にトラブルがあるとは思ってもみなかったらしい。僕が、お互いに相手の症状を当ててもらったのだが、二人ともお互いを単なる健康な人が同席したものと思っていたらしい。職場で、公共機関で遠く離れたところにいる人にまで、自分のおならや口臭が届いていると悩んでいたはずなのに、わずか数十センチメートルの距離にいる人が自分の症状を当てられない。話しつづけているから口臭は漂ってもいいだろう、ずっと漏れていますと言うからおならの臭いはしていてもいいだろう。しかし、2時間、なにの不快な気配はない。  二人は、お互いを気遣って、なにもないというのでしょうと言っていたが、なにも気遣わずに本当のことを言い合える環境を僕が作ったのだ。お互いの懸念を否定されてもなお二人は、自分の口臭とガス漏れを否定できなかった。相手の症状は自信を持って否定してあげたのに。その後2時間場所を替えて、昼食を取りながら話した。  僕と二人だけなら、僕が気を遣って慰めを言っているように思われるから、折角の面会が無駄になる。だから僕は三人で会うように考えた。僕は治し屋さんになりたいから、慰めなんかは口にしない。欲しいのは事実だけなのだ。わずか4時間で長い歳月のトラウマが消え去ることはないだろう。僕は、単なるうったてだと思っている。僕はつまらない人間だが、こと薬を選択する瞬間だけは善良でありたいと思っている。僕が言ったこと、お互いの嗅覚、お互いの言葉、全てを信じあって欲しい。信じなければ信じられることもない。良い言葉は良い耳を持たなければ聞こえない。良い姿は良い目を持たなければ見えない。僕はAとBの痛々しいほどの善良さを信じている。 いつか又会える。その時は堂々とした態度で会いたいものだ。