婦人会

 昔婦人会の役員をしていた人達が、同窓会をしようと集まったらしい。母がその連絡を受けたのは前日のことだ。日程は以前から決まっていたのだが母に連絡をくれる人が忘れていたらしい。その朝、ある参加者が母に5回くらい電話をしてきた。10時と何度も教えたらしいが不安だったのだろう。  同窓会を終えて午後3時頃、母はやってきた。僕を手伝う為だ。その頃母に電話があり、同窓会の時に配るお土産を忘れていたとのこと。後ほど全員のを託けるからよろしくとのことだった。夕方届けられた土産を母が、近所のメンバーに配った。同窓会の帰り、乗り合わせてタクシーで帰ったので、代金を清算しようとみんなに尋ねたらしいが誰もいくら払ったか覚えていなかったらしい。  同窓会から帰って母は感想を言っていたが、皆がボケていることに驚いていた。母とて完全ではないが、数才年下の人を含めてボケの進行具合に驚いていた。所詮牛窓の人達ばかりだから一堂に会する機会は別にして、個別には時々会う機会はある。それこそ会う度に、年々ボケが進行しているらしい。  メンバーのほとんどは一人暮らしで、80才代だ。ボケているのは不思議ではないが、火の始末などで不安がある。田舎だから日常生活の世間の援助は得られるが、火を出してしまえば申し訳ない。一人で自立して生きれば、色々な機能が温存されてそれこそボケ予防にはなると思うのだが、忍び寄る血管性痴呆には抵抗の限界がある。自立を優先させるべきか、安全を優先させるべきか判断が難しい。まるで子育てと同じだ。庇護のもとで育てるのか、旅をさせるべきか迷うことがある。  母の報告を聞いていて、僕自身も判断を迫られていることを感じた。母だけはと言う幸運はないと思っている。いつかきっと判断を迫られる時がくる。恐れて気がつかない振りをしている自分も見える。そしてそれは確実に何十年後かの自分でもある。母の話を聞いていて、いつか必ずやってくる南海沖地震で沈む多くの町のことを思った。