今日、ある町で開局した薬局を探す為に1時間半くらい歩き回った。およその見当はついていたので車でその辺りまで行ったのだが、幹線道路らしきものを走りまわってもそれらしきものが見つからなかった。車を置いて住宅地の中の狭い道路を歩き回った。1歩足を踏み入れると幹線道路からは想像できないくらい新しい家がびっしりと、それも秩序正しく並んでいた。昼下がりで、歩く人もまばらな裏通りをきょろきょろしながら、門札や家の造りをみながらひたすら歩いた。自分の風体からして、空き巣にまず間違えられるので、努めて堂々と歩いた。こんなことを気にしなければならないくらい僕はそれらしいのだ。  時々すれ違う人に尋ねたが、誰も知らなかった。諦めようかと思ったとき、選挙用のポスターをもっている女性に出会った。彼女に尋ねると、幸運にも知っていた。なんと僕が来た南側と丁度反対側だった。結構ここからあるけれど歩きますかと言われたので、歩いてみますと答えた。知らない町を歩くのは興味があって苦痛ではない。さっき車で通ったところらしいからおよその見当もついた。ただ、その薬局は看板もなにも出していないから分からないかもしれないとも言われた。僕はなるべく今来た道以外を通ってそのあたりに辿り着こうと歩いた。住宅街を抜けそうなところである家から出てきた女性にあった。フィリピン人で日本語がとても上手な女性だ。「お家はここなの?」と言ったら「お兄さんの家」と答えた.。それだけ話してすぐ僕は歩き始めたのだが、教会だけで会う人の日常のほんの断片がとてもよい笑顔だったので僕はそれだけで嬉しかった。  反対側を歩き回った時間も体力も僕にはとても貴重なように思えた。全く無駄でも何でもない。シャッターを開ける時と降ろす時以外は、家の外に出ない僕の平日は、四六時中薬のことを考えている。おそらく24時間の内、15時間くらいは薬のことが頭から離れない。僕と同じことが出来るスタッフを増やさない限り、この生活は続く。ただ僕と同じことをこれからの時代に敢えてしようと言うような人はほとんどいない。医院の前に小さな薬局を作れば十分食っていけれるのだから、敢えて自分の力で何年も、何十年も気の長い努力をしようなんてことは考えないだろう。医者が患者を集めてくれるのだから、ありがたくて仕方ないだろう。  さて、教えてくれたあたりに辿り着いたのだが案の定それらしき建物は見つからない。幹線道路より北は、おそらく土着の人達の住む集落で、急な細い道を迷路のように登っていかなければならなかった。段々畑が続いていて、痩せてビッコを引く狸が出迎えてくれた。にらめっこをしたら僕が勝って、ゆっくりと狸は退散した。鍬で畑を耕す老婆に尋ねてやっと最終的に目的の薬局を確認できた。鍬を持つ老婆と少しの間話をしたが、ふと視線を降ろすと、さっきまで歩きつづけた住宅街の向こうに、鮮やかな青色をした海が広がっていた。僕の住む町と同じ海なのだが、一際鮮やかに見えた。同じ海を見ても、背景の島や浮かんでいる船によって全く異なって見えるし、何よりも今来た道すがら何人かの人達に親切に道を教えてもらった僕の心の目が、かすんでいなかったのかもしれない。