物差し

 僕らがすごした青年時代の影響か、僕らは特殊なものさしを持っている。その物差しはなかなか変らない。ずっとこだわり続けてもっている。そのものさしのお蔭で今があるのだろうが、そのものさしのせいで失ったものもある。往々にして目は失った物ばかりにいきがちだが、得た物の大きさに感謝しなければならない。  ものには明るいところと暗いところがある。同じ地球だって、昼のところと夜のところがある。 ところがどちらも地球なのだ。昼は夜を否定できないし、夜も昼を否定できない。半日も経てば立場が入れ替わってしまうのだから。  過敏性腸症候群で今懸命に脱出を図っている人達、今日は昨日より1cm良くなり、明日は今日より1cmよくなればいいではないか。一晩にして1kmも2kmも進める筈がない。たった1cmの歩みでも蓄積されれば東京にだって行ける。  僕の薬を飲んでくれている人達、苦しくて苦しくて仕方ない人もまだ多い。長年の苦しみで得た物差しはどうだ。明るい太陽を計る物差しになっているか、或いは月光を計る物差しになっているか。朝日を浴びて目覚める時1cm完治の方向に移動してはいないか。