驚異

 何だ、この驚異の回路の繋がりようわ。1分前のことすらおぼつかないことも多いのに、80年ぶりの幼友達のことは一瞬にして思い出したらしい。 朝から何回か「タケちゃんいますか?」と言う電話がかかってきた。母のことをタケちゃんと呼べる人はそもそも少ないはずだし、その少ない人達も92歳の母と同じ年齢か年上だろうから、かなり限られる。  デイケアから帰ってきた母は電話を受けた瞬間相手が誰だかすぐ分かったみたいだ。後で聞いたところによると小学校の同級生らしい。と言うことは80年ぶりだ。途中会ったことがあるのかどうか知らないが、話の内容からすると会っていないように思えた。と言うのは何でも同窓会をするらしくて、何十年ぶりという数字が半端ではないように聞こえたから。半世紀と言うより、1世紀に近かったような気がする。 相手の声が昔とちっとも変わっていなくて、若々しいと言って褒め、同窓会には是非出席したいなどと、何らとんちんかんな会話はしない。電話を切った後には「本当は行きたくないんよ」などとクールなことを言う。機能だけではなく、人格さえ変わりつつあるはずなのに、今日のしっかりした様は一体なんだろう。  美しく老いることの幻想や限界を教えてもらう日々だが、こうして雲の切れ間から陽が差すこともある。老いとか人生とかにそもそも定義など似合わないのかもしれないし、必要ないのかもしれない。あるがままの残酷さの前にひれ伏すこと以外、長寿の時代に何が出来ようか。