手紙

Aへの手紙  娘が高校二年生の秋に、突然学校を休むと言って帰ってきました。娘はアパートに住 んでいました。色白で冷え性だから生理の時なんかは不調で休むことは珍しくありま せんでしたから、ああいいよ、ですませました。ところが何日たっても学校に行こうとしません。見るからに元気なのですが。  ある夜僕のパソコンに娘あてのメールが入っていました。それはあるカウンセラーからのもので、娘の過敏性腸症候群(ガス漏れ)の相談に対する答えでした。これには驚きました。娘は漢方薬の僕の評判はよく知っています。それでもなお親には言えなかったのかと、不憫でたまりませんでした。それからの僕の対処の仕方は想像がつくと思います。最愛の娘ですから必死です。ただ職業柄、理解と信頼が大原則と言うことは分かっていましたから、焦らずにゆっくりと回復させようと思いました。今僕が過敏性腸症候群の方に使う処方はその時に娘の為に使った処方が基礎になっています。教科書に出ていることが如何に表面だけかと言うことがよく分かりました。ガス漏れに関しては巷で言われる処方など全く効きません。  漏れていることを証明することは簡単ですが、漏れていないことを証明するのは至難の技です。盗んだことを証明するのは簡単ですが、盗んでいないことを証明することが 出来ないのによく似ています。だから若者の間のいじめが臭いで、老人のいじめが盗 みなのです。  漢方薬で体調をよくしたり、気を強くは出来ますが、漏れていると言う確信を一気に消すことは出来ません。ところが幸運な出来事がありました。娘は教室には復帰できませんが、保健室には行けるようになり保健室登校を始めていました。ある日僕が娘を迎えに行った時の帰り道。ある橋の上で娘が突然「お父さん、臭う?」と尋ねました。その時は僕も実際に臭いました。娘はがっかりしたでしょう。娘のガス漏れは状況証拠ばっかりで、人が臭いと言ったとか、鼻をすするとか、咳をするとかの想像の産物だったのです。自分ではそんな体であるはずがないと心のどこかでは思っていたのでしょう。ところが父親、それもプロが臭うといったから、娘にはショックだったかも知れません。ところが僕にはその臭いのもとはすぐ分かったのです。橋の南には岡山ガスの工場があり、南風が吹いたらその辺りはメタンガスの臭いがするのです。僕は何回か経験していました。娘に、今の臭いはメタンガスの臭いだと教えてやり、「お父さんもう一度あの 橋の上に戻るから臭ってごらん」と言って、Uターンしました。幸運にもまた橋の上で臭ったのです。今でも忘れられません。娘がなにかを感じた瞬間です。橋の上を通った時に限り肛門が開くなんて不合理なことはさすがの娘でも考えられなかったのでしょう。そのことに気がついた娘は、学校でも時々同じ臭いがすることに思いを巡らせることが出来ました。そこからの回復振りは涙が出るくらいでした。一時は受験は無理かなと思いましたが、間に合って僕と同じ道を歩んでいます。話せば一杯のエピソードがあります。娘が話せばいいのかもしれません。いつかそう言った機会もあるかもしれません。あなたの苦しみはあの当時の娘と全く同じなのです。僕はあなたを含めて縁があった人に全員治って欲しいのです。強い人達が人生を謳歌して、弱い人達が日々苦しむ姿は僕が一番耐えられない光景なのです。