序章

 二人には言わなかったが、くしくも20年近く前に僕は娘を助手席に乗せてこの道を通った。今日は遠路はるばる関東から来てくれた、当時の娘とほぼ同じ歳の女の子を助手席に、その母親を後部座席に乗せてかつて娘が通っていた高校の前を通って倉敷観光に向かった。  20年の時を経て、二人が全く同じ悩みを抱えている。当時僕は娘に届いたあるカウンセラーの助言を偶然見つけ、娘がいわゆる「ガス漏れ」で悩んでいることを知った。当時、過敏性腸症候群を治すことは、そんなに難しいこととは思っていなかった僕に「ガス漏れ」と言う単語は衝撃的だった。医学書には恐らくでてこない、患者さん達が作った造語だと思うが、それだからこそ新たな切り口を探さなければならなかった。3日分とか1週間分とか、まるで人体実験のように処方を考え飲ませた。娘はそのうち薄皮をはぐがごとく回復し、大学受験にも間に合って結局僕と同じ志で毎日薬局で働いている。  そのときの処方が今生きているのではない。人にはそれぞれの気質があり、環境があり、発症の理由がある。だから処方が皆同じなんてのはありえない。娘の経験で唯一生きたのは、本人の訴えを忠実に処方に反映させることができればガス漏れも治るってことだ。以来、僕は900人を超える人の訴えを聞いてきた。今日のお嬢さんはその中で一番新しい人ということになる。  昨日数時間話をしたから、そして表情やそぶりをつぶさに見せてもらったから、僕のテーマは定まった。後はどうしても治したい僕と、どうしても治りたい彼女との共同作業だ。暖かくなれば今度は一人か、友人と訪ねてきてくれるらしいが、体調だけではなく、人間としても脱皮して、自由に創造的に生きて行って欲しいと思う。人間として最終章に入った僕から、人生の序章で躓いている若い人たちに対する願いだ。