出会い

 なにの作為も介在しないのに、感動的な出会いを目の当たりにしたので紹介する。  青年は、過敏性腸症候群のガス型で長年苦しんでいる。ガス漏れが自分でコントロールできないと言う過敏性腸症候群の中では多いタイプだ。僕の漢方薬でかなり改善されているが、完治宣言が出せない。彼が完治を自覚出来るのは、沢山の人の中でガス漏れが起こらない状況を経験することだと言う。何人かの青年が僕の家に泊りがけで同じ悩みを治しに来ている。そして僕は日曜日の僕の恒例の行動(教会のミサ)に付き合ってもらう。往復2時間一緒に車に乗ることも僕には大きな情報収集の機会になる。僕は小さな教会に属しているので、狭いお御堂の中に20人から30人が椅子を並べて腰掛けることになる。その中で僕が彼の後ろに腰掛け、臭いを検査すると言う算段だ。彼は、僕が教会に行く日に合わせて今回牛窓にやってきた。  ミサの儀式が進んで、信者同士がお互いの幸せを祈って握手を始めた。これは僕が属している教会の神父様の提案で行われていることで他の教会では行われていない。お互いが握手をし、「神に感謝、愛しています」と挨拶をする。挨拶が始まるとすぐ男の声ですすり泣く声がした。それがやがてこらえきれない大きな泣き声になり、流れる涙にハンカチを差し出してくれる人もいた。彼が身体を震わして泣いているのだ。やがて一人一人に握手と祝福をしてくださる神父様が彼のところにも来て、彼の手を握り優しく声をかけてくださった。  これも神父様の特徴なのだが、初めて教会に来た人に自己紹介をしてもらう。彼も不意打ちのように式が終わってから自己紹介をすることになった。数ヶ月前、ある組織での自己紹介が不安で悩んでいた彼だから、僕は成長ぶりを楽しみにしていた。名前と出身くらいを言うとばかり思っていた。従来何人もの人が自己紹介をしたがほとんどの人がそうだったから。ところが、彼はとつとつと喋り始めたのだが、自分の病名を明かし、いかに長い年月悩みつづけ、死ぬことを考えない日はなかったと打ち明けた。そして今までいかに人を疑い、憎んでいたか、そして人を避けていたかを話しつづけた。お御堂の中は静寂となり全員が彼の独白に耳を傾けた。そして彼が話し終えたとき、拍手が鳴り止まなかった。恐らく何人もの人がもらい泣きしたと思う。その中でいつまでも泣き続ける若い女性がいた。ミサが終わってからすぐにその女性が彼のもとにやって来て、二人並んで腰掛け話し始めた。僕はお御堂を出、二人が話しおえるのを待った。20分くらい二人で話していたみたいだった。その間、僕のところには、神父様は勿論、信者の方も何人か来て下さり、彼が今日教会に来て、とてもよい話を聞かせてくれた事に感謝していた。口下手ですからと言う口癖の彼が、心の中から搾り出した言葉に心を動かされない人はいないだろう。彼のところにすぐやってきてくれた若い女性の涙の意味を僕は知らない。彼にも聞かない。若い二人に一瞬の内に訪れた友情に僕が介入する必要はない。こんな劇的な出会いをもたらして下さった神様にまさに「感謝」する。今日青年は、恐らく人生でもっとも沢山の人に愛された日だろう。