日本人に「愛」の感覚は難しいのかもしれない。「好き」ほどくだけていないような気もするし崇高なのも近寄りがたい。漠然としたつかみがたいものであるが故に、「愛」には千の顔があると言われるのだろう。人が千人いたら千の愛があり、個性がまさに出ているのだろう。おおらかな愛もあれば、純粋な愛もあり、濁った愛もあれば、沈殿した愛もある。愛すればこその嫉妬もあれば、愛すればこその憎しみもある。これら全てが愛なのだ。限りなく幸せにベクトルを向けた愛もあれば、不幸にまっしぐらの愛もある。愛は無条件のはずなのだが、人間は色々と条件をつける。それこそ千の条件なのだ。そうして身動きできなくなった愛は重量を増し天子の羽を折り、地上に落下する。  僕などさしずめ地上に落ちたすずめの羽くらいの愛しかない。僕にとって愛とは「大切にする」と同義語だ。それならはにかみながらでも口に出せる。日本人でも「あなたを大切にします」くらいなら言えるだろう。あなたとは勿論苦しみの中にいる人達のことだ。