文化

 最近気がついたのだが、テレビのコマーシャルでゲームの宣伝がやたら多い。僕はその種のものを見たこともないし、触ったこともないので、驚きの連続だ。それは画面がきれいなこと、リアルなこと、疑似体験が豊富に取り揃えられていること・・・などではない。こんな単純なまるで用意されたような、管理されたようなものに、お金と時間を浪費出来るなということだ。製作者の手のひらの上で遊ばせてもらっているようなことに、人生の何分の一を割けれるなと思う。創造性の何の欠片もない。狭い空間に閉じこもり、目と指先だけを動かすことで、思考はほとんど停止しているのではないか。  繰り返される指の動きの何回かに一回の割合で、世界中の子供が一人又一人と飢えで死んでいる。ゲーム機一つ、ソフト一つで、貧困の中で飢えて死ぬ人達の何10人かを救うことが出来る。子供や青年をゲーム漬けにして、内向きの人間にしてしまえば、便利な存在になる。現実に起こっている不正や格差に気がつかないか、気がついても何ら弾劾しない便利な物言わぬ大衆を生産できる。食べ物も着る物も作る時代ではない。買う時代なのだ。楽しみも自分で生産できない。まさに買う時代なのだ。お金と交換して手に入れるたびに、お金では買えないものを失っていく。1本の指を動かすだけで出来るものに文化は宿らない。