男らしさ

 今月、初めて薬をつくた人達の中で一番気になっていた若い男性が今日薬を取りに来た。2週間分渡していたが、17日ぶりにやってきた。詳細は店頭日誌にでも取り上げてもらおうと思っているが、僕は若い男性の受けているプレッシャーが痛々しいのだ。男性だから当然期待される「男らしさ」につぶされている人が多いのだ。僕は男らしくない男だから、うまくは言えないが、力強さ、経済力、博学、決断力、寛容など、もろもろの能力を期待されている。交換神経をフル回転させないと応じることが出来ないほどの期待を背負っているのだ。これでは早晩いきづまり心が折れてしまう。視線をそらし、小さな声で、はにかむように相談にくる若者(中年も最近は増えてきたが)を目の前にして、絶対治してあげたいと思わずにはおられないのだ。  僕はクリスチャンではないが教会によく行く。総じて年配の方が多いのだが、時々若い人がいる。若い女性が教会にいるのはなんとなく絵になっているから特別な感慨はないが、若い男性が膝をつき、手を合わせ頭を垂れ、一心に祈っているのは感動ものだ。一体何を祈っているのだろうと想像してみたくなったりする。  現代が若い人に住みやすいのかどうか知らない。いつの時代も、若者には窮屈だろう。若者を馬や牛のように戦場に送ったのはちょと前のこと。僕らは幸運にも人を殺さずにすんだ時代を生きることが出来た。その僕らの時代が残したものが、ウツウツとした曇天の日常なら申し訳ない。責任を取ることの出来ない僕らはただ訴えるしかないのだ。人も殺さないで、そして自分自身も殺さないでと。