自由

 今夜、仕事を終えてから海岸に行って見た。海岸縁を車で徐行すると、小さな漁船が異様に大きく見える。その理由は、海が岸壁からわずか数十センチのところまで溢れているからだ。だから低いところに見ているべき漁船の姿が、ほとんど水平な位置に置かれているように見えるのだ。この様子では、台風の接近で又多くの家が浸水するだろう。台風はこちらにまっしぐらに接近してきているように思える。一昨年の台風で、被災と言えるような経験をしたので、台風がその後怖いものになった。子供の頃は、島を越えるような波飛沫を見に海岸へ行ったり、学校が休みになるから台風は楽しいものだった。しかし、今は守らなければならないものを持っているから、台風もまた恐ろしいものになった。抱きかかえてまで守るようなものはないが、世間並の物は持ってしまっている。なにも持っていなかった頃がやはり懐かしく、今でもその方に価値を置く。4畳半のアパートにホームこたつが一つ。それ以上の自由はなかった。なにもないことが一番自由だ。失う物がなにもないのが一番自由だ。何もなくても全く不自由ではなかった。何故こんなに物を持ってしまったのだろう。持てば持つほど不自由になってきたのに。持ちたいと思ったこともないのに。