松坂牛

 まるで僕が襲われているかのように、カラスの泣き声で目が覚める。チキンチキンとツバメが威嚇しながら飛びまわるが、カラスには何の妨げにもならない。もう巣立つばかりに成長したツバメの子は、カラスにとっては松坂牛並のご馳走なのだろう。大きな目玉の絵をぶら下げて、威嚇しているのだけれど、勉強の成果でカラスはそれがなにの危害も与えないことを知っている。眠い目をこすりながら、長い棒を持って巣の下に立ち振り回す。さすがにカラスもこの光景は恐ろしいのか、となりの駐車場の電信柱から山の方に飛んでいく。ほっとして家の中に入ると又、カラスの鳴き声か、ツバメの威嚇の鳴き声に呼ばれる。そんなことを薬局が開く時間まで繰り返す。知らない人が見たら思わず警察にでも通報しそうな光景だ。棒を持って空に向かって振りまわしているのだから。  5匹の雛は、もう飛び立たんばかりだ。薬局の入り口の真上だから、皆さん気がついている。大きくなったのでしばし眺めて帰る人もいる。赤ちゃんを見る目は相手が人間であろうが動物であろうが慈悲の目だ。その目を失った人が人間社会には増えている。こんな小さな鳥にも愛情を注げる人が一杯いるのに、人間にでさえ注げない人が増えている。本能なんてのに、依拠したら大きな間違いを起こしそうだ。本能を置いて来た人が同じ社会に存在していることを否応なく認識しなければならない時代になった。その時代に僕達は巡り会った。