ワールドカップ

 Jリーグが好きなわけでもないのに、ワールドカップの人選には幾分か興味があった。素人ながらに久保の体調が悪いのは分かっていたから、彼が選ばれるのはないだろうと思っていた。案の定彼は落選し巻が滑り込んだ。  人選にこんなに興味がもたれるのは、見ている人間が自分の過去の体験と重ねてみているからではないのか。例えばこの僕も、多くの不合格の通知の記憶と重なってしまう。スポーツ選手ほど凡人には派手な決断の時も、選択の時もないが、凡人には凡人並の激動期はある。まさに受験期がそうかもしれない。何になりたいかと言う夢がなかったから、ただ単に目の前に広げられた問題を黙々と解いていただけのあの頃だった。目標があればもう少しは勉強に身が入ったかもしれないが、人生に目標はなかった。ただ有名大学を目指していただけだった。  選ばれた選手のほっとした表情は何10年も前の受験発表後の僕の顔かもしれない。選ばれなかった選手の顔もまた、何10年前の僕の顔でもある。  大学をいくつか落ちた春、赤穂岬に行った。ほとんど何も覚えていないが、車窓から白鷺を沢山見た。自分の将来も、それから始まる浪人生活も見えはしなかった。誰に相談することもなく、暗い生活に入っていった。しかし暗闇の向こうにいつかは出られるものだ。朝の来ない夜なんてない。本の中に道がある。小学生の頃から姉達が買っていた文庫本を、わけもわからず読み続けた。どうにか、本当にどうにか暗闇を抜け出ることが出来たのは、本を書いてくれた作家達のお蔭かもしれない。仕事をはじめて薬以外の本を読む体力に恵まれないが、そろそろ道の舗装をしておかないと、何10年前の道では心もとない。サッカーのメンバー発表を見ながらそんなことを考えていた。