吉永小百合

 ああ、なんて変わりようだ。僕が知っている頃はこんなにむくんだり、たるんだり、シミだらけではなかった。若いときはさぞかし美人だっただろうなと想像させる雰囲気がまだ残っていた。歳月の残酷さを思い知る。 日曜日に一人家にいたら、あるおばあさんから配達を頼まれた。常連の方で、昔は良く薬局に来てくれていたが、今は足腰が弱って余り外出をしないらしい。定期的に紙おむつや薬を配達しているが、僕はもう随分と会っていなかった。地図で家を確かめ、時間をもてあましていたから自転車で配達した。途中小さな坂があるのだが、そこをお尻をサドルに載せたまま漕いで上がれたので少しだけホッとした。その坂でもしお尻をあげて漕いだり、自転車から降りたりしたらそれこそショックで寝込みそうだった。どうにか、いや余裕のゆうちゃんで乗り越えておばあさんの家に着いたのだが、約束どおり玄関で待っていてくれたその人の顔を見て、今度は本当にショックで寝込みそうだった。  何年会っていないのか分からないが、その人が刻んでいる分僕も同じだけ刻んでいるはずで、僕も等しく歳月の残酷さの晒し者になっているはずだ。毎日見ているから気がつかないだけで、誰にもほとんど平等にやってくる老いの実相は、かくも残酷なものだと再認識させられた。  僕ら凡人は、吉永小百合にはなれない。