長雨

 その男性は、僕の目の前に座っている間中、ずっと手をかき続けていた。時に手を変えるから、両肘から先が特にかゆいらしい。と言うかそのあたりしか人前で掻くことができないのだろう。本来は服で隠されている部分のほうがかゆいらしいから。
 服を上げ、ズボンを下ろし見せてくれたが、きれいなのは顔だけだ。それ以外は皮膚の白い部分が見えないくらい、大きな丘疹でおおわれていた。
 所詮薬局だから基本的には軽症で自然治癒ができる人しか利用しない。ただ僕は漢方薬をよく使う薬局だから、こうした大学病院にかかるレベルの人もやって来る。手に余るような方は断るが、一緒に来たのが漢方薬をずっと飲んでくれているお嬢さんに当たる人だから、病院の邪魔をしない範囲でお手伝いすることにした。
 ただし、病院の切れ味鋭い薬の陰で何が出来るのだろうと迷うが、漢方的なアプローチはあるはずだ。もしそれが功を奏すれば、目の前で壮絶にかゆみと闘っている男性の残りの人生に貢献できる。僕より一回りくらい年上の方だが、最晩年の人生がかゆみとの戦いでは悲しすぎる。いや辛すぎる。
 僕は45年薬局で皆さんの不調と対峙してきたが、若い時には自身が健康体だったから、病気の実像を理解できなかった。まるで教科書に載っている写真のように患者さんを見ていた。薬を取りに来る人、飲んでくれる人の苦しみをどのくらいも理解できていなかった。
 それがだんだん歳を重ねるにつれ、自分にも少しずつ体調不良が押しよせ、最近では、ほとんどの人が遅かれ早かれ遭遇する不調を経験し始めた。それが結構つらくてストレスになることも分かった。
 だから、僕は今、当時、つらさを少しでも共有しようとする気がなかった自分が恥ずかしい。痛みなどをわが身で体験して初めて、心から同情できるようになった。 
 この心境の変化が、漢方薬の実力に影響するかどうかはわからないが、いやそれほど影響はないと思うが、不調な方に思いを馳せないのは今は許せなくなった。心の中で涙を誘われることも増えた。
 息子が就職したころ「お父さん、のめりこみすぎないで!」と心配してくれたことがある。かつての僕はお役に立てれないことに耐えられなかったから懸命に頑張ったが、今は違う。お互い頑張ろうと同病相哀れむことができるようになったのだ。必ず治る保証があった時代の僕と、修復不能の体を持ついまの僕では患者さんとの接し方はまるで違う。当時と現在の僕に薬剤師としての優劣はないが、生き方は変わる。こうして文章にしてみるとまるで凡人がたどる道をまさに凡人のごとく生きてきたことが分かる。
 止むことを忘れた季節外れの長雨が頬を伝う。

 

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