悲しいニュース

 人生の最期がこれではあまりにも悲しい。連日、介護疲れの悲しいニュースが絶えない。もう老人の域に達している子が、親を殺す。そして自分も死ぬ。或いは自死を試みる。背後には必ずと言っていいほどの経済的な破綻がある。お金を追い求めて様々な犯罪や人格の喪失が繰り広げられるが、お金でなら解決できることも多い。行政や近隣の住民に助けを求めることが出来る性格の人はまだ救われるが、寡黙に孤立して生きがちな人には、お金だけが頼りだろう。職を辞し介護にかかりきりになると収入は途絶え、出費はかさむ。幾ばくかの蓄えなんかあっという間に底をついてしまう。その後は破滅しかない。親を介護する人達は、盗むにも、騙すにも善良過ぎて、自分たちを傷つけ抹消してしまう。  英雄、タレント気取り達がこの国を動かしている間に、ぎりぎりの生活を強いられている人が増えた。この人達はたった1つの躓きで生活を奪われる。与えられた仕事を懸命にこなしてきた挙句がこの仕打ちではやりきれない。死ぬことより生きていることの方が辛い生活に、誰が救いの手を差し伸べるべきなのだろう。人生が自死へ至る道のりだなんて、どの親が、どの子が想像して平凡な日々の営みを繰り返してきただろう。  軒先に巣を作っているツバメの雛がかえった。待っていたとばかりに、カラスが旋回を始めた。雛が食べごろに育つまでカラスは待つ。弱肉強食の自然の摂理を人間だから悲しめる。人間だから立ちはだかれる。営々と築いてきた人間としての機構が、今大きな音を立てて崩れている。早く気がつかなければ、不幸はせきとめられない。