死んでこそ生きる

 視力を失った女性に、恋人が移植をしてあげようと申し出た。2つあるのだから、1つを譲って、二人とも見えるようになればいいと彼は考えた。しかし、彼女はその申し出を断わった。彼女は視力を失ってから、とても聴力が発達して、今まで聞こえなかったような繊細な音まで聞こえるようになっていた。おまけに、人の心まで敏感に読めるようになっていた。見えないぶん心を研ぎ澄ますことが出来たのだそうだ。そう言った理由で彼女は彼の申し出を断わった。失ってこそ得たのだ。  過敏性腸症候群の方と、電話で話したりメールをやり取りする機会が多い。訪ねてきてくれる人も多いし、何泊か泊まっていく人もいる。彼ら彼女らは、青春を失っていると言う。確かに、楽しい食事会も、旅行も、いやいや学校や仕事までも取り上げられている。何もかも失ったように嘆くが、僕にはそうは思えない。彼らは多くを失ったけれど、多くを得ている。人の痛みが分かると言う現代で最も失われている心の営みが自然に味についている。これは、通信簿でもお金でも評価できないくらい崇高な心のあり様だ。この心が多くの人達の中で培われていれば、現代に起こっている悲惨な事件や人間疎外の貧しい出来事は激減しているだろう。  死んでこそ生きる。失ってこそ得る。幸せ過ぎないで貧しい人のところに下りていって、一緒に寒さを感じ、病気の人のベッドのそばで痛みを学び、心を閉ざしている人に微笑むことが出来れば、僕達は生かされるだろう。