どうでもエーデ海

 昨日、偶然目にした雑誌に、日本海側のある海を「日本のエーゲ海」と紹介していた。どこかで聞いたことのあるキャッチコピーだと思ったら、僕の住む牛窓がもう何年も前から使っているコピーだ。温暖を売り物にする牛窓の海でも、「エーゲ海」とは程遠いのに、日本海の荒波から地中海はとても想像しにくい。およそ実体はなくても言葉やイメージだけで売ろうとするのが現代の商法だが、似て非なるものを売りこもうとする図々しさもいただけないが、やすやすと騙される脇の甘さもいただけない。  僕は照れから、牛窓の海を「どーでもエーデ海」と呼んでいた。ただそこに海があるからと言うだけで観光客を呼ぼうとする政策のなさに憤慨していた。無策がもたらした県南唯一の過疎地で、もう20数年薬局の仕事に従事した。観光客がしばしば立ち寄って、どこへ行ったらいいのか尋ねる。日本のエーゲ海と聞いてやってきたのはいいが、遊ぶところがないのだ。ゆっくりと時間を消費するのにはいいところかもしれないが、遊ぶところではない。そんな人に僕は必ず「よかったじゃないの、牛窓名物のヤマト薬局を見れたのだから」と言う。何もないところに来て後悔している彼らの心を少しでも慰めてあげようとして言うのだが、おおむね好評だ。少しの笑いを残して去っていく。  この町の前に広がる海が、エーゲ海である必要もないし、黒海である必要もない。僕ら凡人も、自分を捨てて、だれだれもどきになる必要はない。所詮この程度の海のそばに住むこの程度の人間だから。