待機

 大江健三郎さんの息子さんは少し歩くのが苦手だそうな。お父さんは、彼とウォーキングをして、歩き方を克服しようとした。息子さんが苦手なことは、他人に触れられることと犬に吼えられることらしい。  ある時、ウォーキングの途中息子さんが転んだらしい。大柄な彼を抱えている時にある婦人が助け舟を出してくれたが、息子さんはいやがった。その態度に婦人は憤慨して立ち去ったらしいが、ふと目をやると、少し離れたところで中学生の女の子が、携帯電話をかざして、微笑んだらしい。いつでも救急車を呼べますよといわんばかりの仕草だと大江さんは気がついた。声をかけてくれるわけではないが、そっと待機してくれている姿に、心を動かされた。  こんな手記が朝日新聞に載っていた。婦人も女子中学生もどちらも立派だ。どちらがよりすぐれているかの問題ではなく、どちらも立派だと思う。日本人には積極的な行動を取る習慣があまりなかったので、奥ゆかしさが重宝されたが、それだけでは解決しない問題が多々ある。 「善意を為すのに勇気を持ってください。変だと思われてもいいではないですか」 これは最近僕が追っかけをしている神父様が、僕に言ってくれた言葉だ。元々奥ゆかしさは持ち合わせていないが、奥ゆかしさと言う言葉に隠れて、大切なことを避けてきたことは免れない。意識して今はよいと思ったことを実践し様としているが、やってみれば、照れるほどでないことに気がつく。