小気味

 すでに僕が腰掛けていた食卓の前に立ち、息子がしばし動きを止めた。奇妙な間だったのだが理由はすぐにわかった。僕がまさに箸をつけようとしていたものがいったい何か分からなかったのだ。僕にとっては何十年の習慣だからなんでもないことだが、不思議なことに彼にとっては初めて見る光景だったらしい。  「びっくりした、ミンチ肉を生のまま食べるのかと思った」そう言われて改めて見ると確かに良く似ている。特に買ってきたままのトレイで食べようとしているから余計だ。もう少しだけ色が濃かったら生のミンチ肉そのものだ。ただ、さすがの僕もそんな勇気はない。「ゲタの崩し」と答えると、「どうやって食べるの?」と尋ねてきたから「えっ!食べたことがないの。昔牛窓にいるときに食べなかったっけ。さすがに子供には食べさせなかったのかなあ」と言うと妻が「普通は団子にしておつゆに入れるんだけど、お父さんは刺身でたべるんよ」と教えた。「メチャクチャ安くて美味しいんよ。一皿が150円だもの」と言うと恐る恐る?息子は箸をつけた。その結果「あっ、美味しい。骨ばゆいトロみたいだ」とまんざらではない表情だった。そして結局は一皿(一トレイ)平らげた。  大の男が二人、今夜のメインディッシュは計300円なり。マグロの漁獲制限なんて瀬戸内に暮らしている人間にとっては全く痛くも痒くもない。こんなに美味しいものを150円で味わえるのだから、質素な贅沢を毎日のように味わえる。新鮮なゲタでしか出来ない食べ方だから地元の人間でしか味わえない。太平洋を泳ぐ魚は絶対口にしないと決めているが何の不自由もない。贅沢がお金の額と比例しないところが小気味いい。

(ゲタは、シタビラメ、ウシノシタ類の香川・岡山あたりの方言。カレイやヒラメのように平たく、口が体の先端でなく、目の下にあること、背びれ、尾びれ、尻びれがつながっていることが特徴 )