作業

 天気予報が伝える気温はまるで初夏のものだったが、僕は顔や背中に当たる太陽の光がまだまだ春のもののように感じた。こうして太陽の下で作業をすることなどもうずいぶんと長い間したことがなかったので、まるで冬眠から冷めた動物のように、ためらいがちな動きになってしまった。心も身体もまるでもやしだから、しおれないようにゆっくりとした動作を心がけた。しかし、そのうちに自分の体がついていっていることに気がつき、その作業がまるで遊びのように思えだした。フィリピンの若者はコンクリートを破って生えた生命力溢れる草をむしり、日本人の老人達は鎌で器用に伸びた草を刈る。ある人は草刈り機を持ちだして広範囲の草を刈ろうとしているのだが、結局は壊れた機械を最後まで治すことだけに時間を費やし、1本の草も刈ることは出来なかった。  僕は田舎で生まれ育ったが、こんな状況ではまるで役に立たない。力はないし、腰も膝も悪いし、顔も悪いし、口も悪いし、ついでに根性まで悪いから。だから草刈りの奉仕には役に立たない。そこで僕はみんなの役になんとか立とうとして考えた。そこで思いついたのがまだ自分に残っている筋肉を使うと言うことだった。僕の筋肉は足にも腕にも背中にももう無くなっている。脚力、腕力、背筋力が無くなっているのだから力仕事は出来ない。残すは口の回りの小さな筋肉だけだ。  半年前に来日した男性のフィリピン人が、つい最近来日した女性に草をむしりながら「仕事が何ですか?」と繰り返し発音を練習させていた。傍でゴミ袋を持って立っていた僕は、その「が」が耳について仕方なかった。そこで、「僕は日本語が得意、教えてあげる」と言うとえらい受けた。「ヤマトサン、日本語得意、日本語得意」と繰り返して傍にいた若者達も巻き込んで盛り上がっていた。僅か半年の滞在で日本語のジョークを理解できる若者達の語学に関する順応性に驚く。  結局僕はみんなが足腰を犠牲にして清掃奉仕をしている間に、口の回りの小さな筋肉ばかりをやたらに動かしていた。体温の上昇と共に長い間滞っていた血流が少しばかり改善していることを感じた。大した力も能力もないのに、つい頑張ってしまう悲しい性を、日曜日の昼下がり寒暖計の中にしばし閉じこめていた。