居心地

 何も悪いことはしていないのだが、なんとも後ろめたい。
 「エアコンなどは贅沢だ」世代の残党だから、この夏初めて寝室にクーラーを取り付け、あまりの心地よい真夏の眠りに、喜んでばかりいていいのかとふと疑問がわく瞬間がある。
 昨年までは、2階にある寝室の戸を開け、首を家の外に出すような格好で寝ていた。それで何とか眠りにつけたし、寝苦しさで消耗することもなかった。むしろ明け方になると寒くて戸を閉めなければならないくらいだった。しかし、ふと頭を過ったのが「来年の夏はもたないかもしれない」という懸念だった。毎年記録を更新する夏の気温を見ていると気弱になった。そしてこの6月に勇気を出して電気店に行った。
 寝室に入ると風呂上がりの汗が引く。この経験は新鮮だったが、眠りにつくまでが従来とはなにか違う。暑くもなく寒くもない、まるで1年で一番心地よい季節を引っ張って来たような空間だ。人工で作った環境なのに、それに安堵する自分が悩ましい。不自然を感知しない不自然さが悩ましい。そして例の後ろめたさが頭を過るのだ。
 僕はエアコンを買うことが出来たが、ひょっとしたら必要なのに買えないか人がいるのではないか。買えなくて寝苦しい、いやそれだけではなく命がけの夜を過ごしている人がいるのではないかと考えてしまうのだ。
 2極化が進んで、超大金持ちが世界で2番目に多いこの国で、ひょっとしたらエアコンすら設置できない人がいるのではと気になって仕方ないのだ。オリンピックに派遣する人間にかける経費で、どのくらいのエアコンなし人間を救えるか、アメリカから買う武器の総額で、どのくらいの人にエアコンを配れるか。そんなことを考えてしまうのだ。
 自然主義者ではなく、社会活動家でもなく、ごくごく普通に暮らしてきたが、最低限安全な生活が出来ない人が実際にいるとなると、超居心地が悪い。

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