兵庫県立フラワーセンターでのある光景に、晩年の母の様子を思い出し胸が痛んだ。
近くで目撃した、ある母親と娘が正に当時の僕達と重なったのだ。恐らくその母親も娘も当時の僕達よりは少し年下。しかしその母親の無表情さと、カメラを構えて必死で「笑って!」と呼びかけ続ける娘は、僕達そのもの。
フラワーセンターの、今が盛りのチューリップのように美しい光景は見せてあげることは出来なかったが、施設から連れ出し、嘗ての中学校のグラウンドで車いすを押し、返事が返ってこない母にまるで独り言のように語りかけた。
廃校になった中学校から引き継いだ桜の季節も何度かあった、紅葉の季節も何度かあった。でも見上げることもなく無表情のまま虚空を眺め続けていた。それでも僕は何かを期待して6年間施設に通った。
見かけた母娘は、既にその入口に立っているみたいで、懸命に時を戻そうとしている娘の姿が痛々しかった。フラワーセンターみたいなきれいな所では、このように車いすで大切な人と時間を共に過ごす光景をたくさん目撃する。多くのいわゆる名所と言われるところで目撃する。自然の力を頂き、回復を願ったリ、苦痛から一時でも逃れられたらと願っての行動だと思う。
遅かれ早かれ遭遇する苦痛の日々を自然の力によって癒される、そこにしか人間が帰ることが出来る場所はない。