涙、涙の再会だったらしい。と言うことは分かっているんだと思ったが、数分で集中力が切れるから、どこまで分かっているのかは怪しいとは、娘夫婦が母を訪ねてくれた後に施設を訪ねてくれた従姉妹の弁だ。 娘夫婦が施設を訪ねた時、母は数人の入所者と一緒に簡単なリハビリを受けていたのだが、笑顔が溢れてとても楽しそうだったらしい。家にいた最後の頃は笑顔など見ることが出来なかったから意外だったが、姥捨てをした僕としては救いだった。  入所者の中で3人頭がしっかりしている人がいて、彼女たちが「○○さんは、昔先生でもしていたん?」と従姉妹に尋ねたらしい。まさに母は小学校の先生を一時していたのだが、その頃の名残、それも好印象の出来事でもあったのだろうかと僕が従姉妹に尋ねると、正にその様なエピソードが施設の中で生まれたらしい。ある時誰かが何かを探しているときに丁度母がそのものを使っていたらしくて、「私は後で良いから先に使ってください」と言って譲ってくれたらしいのだ。この姿勢こそ僕が晩年まで目撃し続けていた光景なのだが、急速にこの数ヶ月それは失われていった。  実はそのしっかり者の3人は、施設に入所したときには「歩けない、喋れない」だったらしい。そこで持ってきた薬を全部止めさせると、「歩ける、喋れる」に変わったというのだ。母もかの有名なボケの薬を止めてから攻撃性が無くなった。恐らく日本中で同じような光景が展開されているに違いない。副作用にちゃんとその様なことは載っているのだが、治そうとしていることと副作用が同じだからなかなか気がつかない。だから多くの無駄金が合法的に企業に流れているのだろう。老いをまるで病気のように扱って、ほとんど制御できていないのに莫大な報酬が支払われる。下流から上流に流れる、いつもの金の流れだ。  「会いに行けば良いんじゃない?」と娘が言ってくれた。会わす顔を失ったから早く会える顔を見つけなければならない。