僕の記憶では、食卓に上がっては手で払いのけられ、また上っては払いのけられる。これを繰り返すのが猫だと思っていた。確かにプリンも保護した当初、2か月児みたいだったが、僕の60年前の記憶通りの動きをしていた。
母親に捨てられ?一人で生きていかなければならなかった延長だから、嗅覚全開で餌を狙うのが唯一の命題だったろう。だから、それを強引にとがめることはしなかったが、猫とはそうしたものだと思っていた。
ところが気が付いてみると、数か月もすると食卓に食べ物目的で上がることはなくなった。台所のシンクの上にも時々上がるが、あえて近くにある食べ物を食べようとはしない。
空腹になって一鳴きすれば、栄養満点の餌が運ばれてくることを覚えたプリンに、餌をあさる行為は必要ない。親と離れた一時期、ゴミ袋を破ってかすかに袋に付着していた餌をあさっただろうあの頃が記憶から消えないのか、家から脱走しようとする気配すらない。玄関を僕が明けた時に見える外の世界が、恐怖の世界なのか、恐る恐る遠くからうかがっているだけだ。
そうした光景が、僕にはパレスチナの子供たちと重なる。空から爆弾が飛んできて、親兄弟が吹き飛ばされる。容赦なくコンクリートが降って来て、家族がそこに埋まる。悪夢でしかない光景が日夜繰り返される。
壁際に置いている小さな皿に向かって食べる後ろ姿は、まさに猫背で哀愁を秘めている。尊厳を得た猫と、尊厳を踏みにじられたパレスチナの人達の姿が重なる。まさかあの人たちの命の価値が、猫より下であってはならない。