満載

 幼稚園児らしき子供たちが、一所懸命声をそろえてお礼を言っている。何か見学でもさせてもらったのか、大きな声を張り上げている。
 なんとも微笑ましい光景・・・ではない。60年前の「言わされ感満載の苦い思い出」が蘇って来る。挨拶とか儀式とかが嫌いになり、それらに価値を認めなくなった原点かもしれない。
 小学生の頃の思い出だが、成り行きからしたら6年生だったのかもしれない。校庭に全校生徒が集められていた。急に先生から、壇上であいさつをされる人に「ありがとう」と言って欲しいと頼まれた。誰に何のためのありがとうか今は思い出せないが、恐らく当時も分からなかったのだと思う。なぜなら後述のようになんとも間の抜けた、ばつの悪い挨拶をしてしまったのだから。
 当時の小学生の頭で、このタイミングと判断したのだろう。言われるままに大きな声でありがとうと叫んだ。すると先生が慌てて制止した。でもこんなに短い言葉を途中で遮ることはできない、最後まで言ってしまった。先生の制止の言葉の後に、校庭なのに異様な静寂に包まれたような記憶がある。そして僕に残ったのは最強の「ばつの悪さ」子供心に言わされ感満載の不信だけが残った。そしてなぜか今日、ふとそれが蘇った。
 僕はやらせは大嫌いだ。裏表が大嫌いなのだ。まさにこれが、僕の一生の思い出。良いことなど何も覚えていない。僕の個性か世の常かを知りたいものだ。

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