石段

 昨日の和太鼓と金刀比羅宮の話の続き。
 さすがに昨日は疲れていたのだろう。夜一度目が覚めただけで、いつもより2時間くらい長く寝た。途中目が覚めたときにふと気づいたことがある。なぜこんなに何度も僕は、ベトナム人のためとはいえ金刀比羅宮のお参りするのだろう。いや実際は石段をひたすら上るのだろう。
 僕は信心深い方ではない。金刀比羅宮は、元々海の神様らしく、この辺りの漁師もお参りに行っているみたいだが、僕ほど足しげく行ってはいない。何年に一度くらい、ひょっとしたらそれ以上かも。
 ことさら手を合わせ、何かをお願いするわけでなく、お賽銭を投げるわけでなく、それでもな訪ねるのは、あの石段のせいではないか。たいていの人が目指す、本殿のまだ上にある奥殿までは1300段以上ひたすら上る。足の筋肉が悲鳴を上げる人、関節で悲鳴を上げる人、心臓が悲鳴を上げる人もおそらく多いと思うが、それでも多くの老いも若きもひたすら上る。見るからに信仰の為と言う人にはあまり遭遇しないが、それでも上る。
 山があるから登ると言う名言を聞いたことがあるが、同じことが言えるのではないか。人は石段を見たら上りたくなるのではないか。上ってみたくなる、上らざるをえないようになるのではないか。だからしんどいのを覚悟で多くの人が遠くからやって来る。
 門があればくぐりたくなり、仏様を見たら手を合わせたくなり、キリスト像を見たら十字を切りたくなり、偉人には頭を下げたくなるのが普通の人達の反射的な行動なのではないか。
 昨夜目覚めた時に行きついた結論だ。あれだけ多くの信仰心のなさそうな人たちが上へ上へ上るのは石段に対する反射なのではないか。

 

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