借金

 当然年下だと思って問診していたのに、実はほとんど同じ歳だった。なかなかこうした思い違いはない。むしろ逆の場合のほうが多いと感じていた。
 「えっ、僕と同じ年齢?若く見えるなあ!」とそのままの感想を言うと、本人も奥さんもまんざらでもないような表情だった。その次に二人がまた口をそろえるように「髪がふさふさしているから若く見られるんですわ」とこれもまたまんざらではない風だった。「気の毒ですから、口には出しませんが、禿げてない分、若く見えるんでしょう!」これまた、またまた、まんざらでもなさそうだったが、このまんざらでもないのも一瞬だ。そんなものどうでもいいくらいの身体的な苦痛を抱えている。歯も髪も抜けて当然の世代になると、やはり一番の贈り物は健康だろう。歯も髪もなくても日は経つが、痛みや不自由を抱えたら時間が止まる。時間の向こうに希望は見えない。だから、痛みや不自由の囚われの身になっていないのが一番の幸せなのだ。
 先日、玉野教会の女性信者さん、僕より一回りくらい大きな方が、「お返ししている」と言われた。老いると言うことは、一つ一つ失うのではなく、一つ一つお返しすることなのだそうだ。
 どう見てもまだまだあまりお返ししていないように見えるが、それでもちゃんと歩む道を見据えて進んでいる姿を見て多くの示唆を頂いた。
 歯もない、髪もない。いっぱいお返ししている僕なのにまだまだ返しきれないものがある。それは借金だ。福沢諭吉では返せれない善意の借金だ。

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