これは諺なのだろうか?
 久しぶりに耳に入った言葉が懐かしく、初めてそうした疑問を持った。全国共通の諺か、漁師町で使われてきた単なるローカルな表現か。
 使ったのが90歳を前にした元漁師だったから余計迷った。牛窓と言う小さな町でも、漁師が固まって住んでいる部落は大きくない。人間嫌いが多い漁師たちは独特の文化を育てていて、そう言った中で育った僕も知らず知らずに影響を受けている。
 この老人は、なかなか頭は冴えていてまだまだ機知に富んでいる。だいたい漁師の話は面白いが、老いてもなお、口周りの筋肉とギャグを言う能力は落ちていない。僕は漢方薬を渡して調剤室に戻っていたのだが、妻と世間話をしているのが聞こえ、その言葉が出てきたのだ。何をもらい損ねたのか知らないが、不本意だったのだろう、「げんこつも外れれば腹が立つもんなあ」と二人で大声で笑っていた。
 無視を戒めたり、平等を説いたりと言う高尚な匂いはせずに、なんでももらわなければ損と言う、俗世間ぽい響きの方がピンとくるが、前者なら諺、後者なら牛窓の特産。どっちみち僕には使う権利がありそうだ。

ここからが本命

古賀茂明「菅首相の理不尽な政治主導」
2021/02/09 07:00
古賀茂明氏© AERA dot. 提供 古賀茂明氏
 最近、霞が関の残業削減の議論が盛んだ。昨年9月に就任した河野太郎国家公務員制度担当相が、「霞が関をホワイト化する」と述べてこの問題への関心が一気に高まった。国会議員による役所への質問通告の時間を早くするという動きもあるが、これで深夜残業がなくなるかといえば、望み薄だ。官僚の残業といえば、ある自民党議員のこんな言葉を思い出す。「夜の会合の後に霞が関を通るたびに、こんな時間までありがとうと、頭を下げるんだよ」これを翻訳すると、こういうことだ。「こっちは業界の接待で料亭や銀座のクラブで遊び惚けてるのに、深夜に議員宿舎に帰る途中、霞が関を通ると役所の明かりが見える。俺たちの利権のために残業してくれたのかと思うと、官僚たちにはただただ感謝だ」
官僚は、国民のニーズを吸い上げるために昼間は現場に出なければならない。そのうえで、専門家の知識や海外事例も研究してまともな政策をタイムリーに出していくためには時に深夜残業も必要だろう。しかし、実際の残業は意味のない、あるいは国民にとって害にすらなるものであることが多い。例を挙げてみよう。
一番多いのは「官邸主導」「政治主導」の名のもとに、結論と納期ありきでおかしな政策の実施が強要されることだ。安倍政権や菅政権では、官僚は、その政策に異を唱えることができない。無理な政策を「もっともらしく」見せるというのは、本来できないこと。「ミッション・インポッシブル」だ。資料を作って上司にあげてもダメ出しの繰り返しで、徹夜になるのは自然の流れだ。
 次に、政治家や役所幹部の不祥事。これを隠ぺいしたり、不祥事ではないように見せかけるための労力も並大抵のものではない。本当のことを話してよければ、野党ヒアリングでサンドバッグになることもなく、準備も不要で、ヒアリングも30分で終わるだろう。
 さらに省庁の利権を守る仕事も全く同じだ。不当な利権はなくすということが許されれば、まともな政策になるが、許されないから、たたかれどころ満載の政策になる。それを守るための作業に膨大な時間がかかる。
これらの仕事は、一度始めると後戻りできないのも事態を泥沼化させる。役所も政治家も間違いを認めることができないからだ。間違えましたと謝罪できれば、残業も大幅に減るはずだ。
そんな嫌な仕事ばかりなら、さっさと辞めればよいと思うが、そうもいかない。役人は出世できなくても、退職後が楽しみだ。そこまで待てば、悠々自適の天下り生活が待っている。若手が辞める例は増えているが、課長以上は潰しが利かない。辞めてもいい仕事には就けないので、我慢しようということになる。ここまでくればもうおわかりだろう。
霞が関の残業を減らすのに必要な構造改革は、「理不尽な」政治主導を改め、政治家や役所幹部の不祥事に対して隠ぺいせずに事実を公表し、政治家や役所の利権を守るのもやめて、さらには、天下りをなくせばよい。
そんなことが菅政権にできるのか。先週の週刊文春で明るみに出た、菅義偉首相の長男による総務省幹部接待疑惑に官僚がどう対応するのか。これを見れば、おのずと答えはわかるだろう。
週刊朝日  2021年2月19日号