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 いつも見ているはずなのにピンとこなかった。これぞまさしくピント外れで、電話の向こうで漢方問屋の専務さんもじれったかっただろう。でもいつもながら忍耐強く教えてくれたから危機は脱した。この機械音痴の僕にも今やインターネットは必需品と言うか仕事においては生命線なのだ。
 漢方薬の集荷時間に懸命に間に合わせようとしている僕を見て妻が、出荷伝票を打ち出してくれようとした。今のパソコンはしばらく使わなければ自動で切れるから、妻は立ち上げようとした。ほとんど妻は使わないパソコンだから、離れた位置からパスワードを聞いてきた。僕は調剤しながら出荷用のクロネコのパスワードを言い続けたのだが、つながらないという。そこでパソコンのところに行ってみると、クロネコヤマトの出荷パスワードの画面ではなく、パソコンを立ち上げる最初のパスワードだったのだ。
 何回も挑戦したものだから、すでにパスワードを入力する作業自体をブロックされていた。こうなるともうお手上げで僕にはどうしようもない。そこでいつもの緊急避難で専務さんに指導を仰いだのだ。専務さんの助言通り進めていくと毎回PINと言う文字にぶち当たる。挑戦するたびに見たこともない文字が出てくるものだから「PINがまた出てきた」と専務さんに電話越しに伝える。今思えば僕はうろたえて何回繰り返したろうか。最終的にそこパスワードを入れてくださいと言われて実行したらつながった。いつものように感激ひとしおだが、翌朝、パソコンをに立ち上げようとしてふと気が付いた。あのPINはひょっとしたら新しいこのパソコンに変えてから毎日見続けていたものではないか、今まで視界に入っていてもただ意識してみたことがなかっただけではなかったかと。
 今思えば恥ずかしいくらいこのPINにこだわっていた。相手が家族だったらかなり怒られていたと思う。彼みたいに忍耐強くは相手にはしてくれないだろう。
 全ての存在に意識が向かうなどはあり得ない。そしてそれがよいこととも優れていることとも限らない。全体を眺め心で見ることも多くの場合大切だ。むしろその方を大切にしてきたきらいの僕には、機器や効率優先の世相の方が息苦しい。ただ日常はそんな悠長なことを許してはくれない。去り行く日常を評価することより、人生と言う時間を振り返る世代になってもなお、物たちに追われ続けられなくてはならないのか。その答えだけはパソコンで検索しない。