綺麗

 この薬は5000円でもいいと嬉しいことを言ってくださるが、実際に5000円だったら買わないだろう。まあ、そこまで重宝していただいているということだろうか。
 県外の方が何かでその薬のうわさを聞かれ、岡山市の方が1時間かけて取りに来てくれた。2回目の時に話してくれた内容だが、ずいぶんと手をかけて手に入れてくださったことになる。メールか電話で申し込んでくだされば直接送れるのだが、そこはさすがへき地薬局と認識しているのか、わざわざ取りに来てくださった。
 今や輸送網が完備されているので田舎のハンディーはほとんどといってない。手に入らないものはないし、届くのにかかる時間もほぼ同じだろう。逆も真なりで、僕の漢方薬も翌日には沖縄と北海道以外は届く。
 先ほどの5000円出してくれるかもしれない塗薬は1000円で販売しているのだが、これは田舎だから材料が安いのではない。漢方薬仕入れは日本中どこでも同じだから、頂戴している技術料が違うだけなのだ。ここでまた問題だが、この頂くべき僕の技術が低いのでもない。薬局製造業という免許を持っていれば誰だってできることだ。
 強いて言うなら、僕の値段設定だ。僕が30数年前に漢方薬の勉強を始めてからずっと人体実験に付き合っていただいた地元の方が飲める価格。若者でも手が届く価格。病院などにかかっている人がもう一つの治療法として選択してくれた時に併用できる価格であるということが大切なのだ。
 一方、僕の応対を偶然目にする漢方薬の会社のセールスが、居合わせて心苦しくならない価格でもあるらしい。カリスマを自任する人たちの法外な値段は、材料を供給する人たちには心苦しいみたいだ。何しろ原価を知っている人たちなのだから。
 あと何年この仕事ができる?する?のか分からないが、せめて綺麗に終わりたい。