刹那

 テレビが壊れたのを機会に、最近は夕食を済ませても下に降りてパソコンの前に腰掛け「フラッシュモブ」三昧だ。いつ誰がそうした形態のパフォーマンスを始めたのか知らないが、最初に考えた人はすごい。  僕が最初に見たのは、第九と言うキーワードで検索していたときに偶然見つけたものだ。幼い少女が広場に置かれた帽子にお金を入れると、ベースを1人の男性が弾き始める。そして次から次へと、何処からともなく他の楽器が集まってきて、1つのオーケストラが完成する。そしてそのパフォーマンスはプロによるものだから、音楽としてもかなりの完成度だ。まさに驚きと音楽が一度に楽しむことが出来る。  それ以来、フラッシュモブを漁り、良質(プロかそれに近い音楽だけ)のものを見ることが楽しみになった。戦争大好き人間のアメリカは嫌いだが、音楽となるとかなりレベルは高い。ヨーロッパは、やはり文化を育む血が流れているのか総じて品がある。南米は明るいが雑で、アジアのものは、パフォーマンスのあとの聴衆のリアクションが少なすぎる。あれだけのパフォーマンスをしてもらったのだから、それなりに感謝の態度は見せなければならない。  最初は怪訝な表情の聴衆が、音楽によってぐいぐいとひきつけられるところは圧巻で、終わったときの聴衆の表情がいい。欧米では賛美の方法がとても素直だから演じる側にもそれが伝わり、両者の笑顔がまぶしい。10分足らずの刹那が又輝きを与えるのかもしれない。  草の根ではこんな素敵な光景が繰り返されるのに、国レベルではどうだろう。強い奴がのさばっている。異を唱えない聴衆はやられっぱなしだ。ただいつまでもやられっぱなしだと、あいつらの欲望が留まるところを知らず、庶民は虫けらのように扱われ、まるで廃棄物のように道端に捨てられる。庶民は単なる消耗される道具に成り下がる。それも原材料はただ(無料)だ。そのうち今のままではこの国でも、70年前と同じように若者が戦うただの道具にならされる。  でもなあ、戦争はいかんぜよ 人を殺してはいかんぜよ 鬼業家ごときの為に殺してはいかんぜよ。死んではいかんぜよ。殺されてはいかんぜよ。