憲法

 何で我が家の夕食でそんな言葉が出てくるのだ。でも、その言葉を聞いたとたんすぐに何のことか分かった。  次女と三女が言うのだから若干なまりはあるが、明らかにそれはソ連自動小銃のことだ。全くそんなものに興味がないのにすぐに分かるのだから、僕も無駄に半世紀一日も欠かさず新聞を読んでいなかたってことだ。継続は力なりを少しだけ実証したかもしれない。その小銃のことをかの国の若い女性が口に出すのだからただ事ではない。俄然興味を持って話を聞いた。  実はかの国では、男子も女子も高校生の時にAK-47の取り扱いの訓練を受けるらしい。銃を分解し掃除してまた組み立てる。実際に撃つ様な事はしないらしいが、匍匐前進や手榴弾の投げ方も練習したらしい。侵略の歴史がそうした防衛意識に大きく関与している。国民の一人ひとりに国を守る気概が・・・ある分けない。そもそも国などと言うものはどの国も支配層のもので、金持ちのお友達グループを、貧乏人達が金をもらって守ってやっているようなものだ。国とは庶民にとっては、ていよく使われる檻のようなものだ。その中では自由に動けるが決して外には出られない。分け与えられた餌をありがたく頂戴している猿や象みたいなものだ。  ベトナム戦争で何百人も殺したアメリカ兵が、帰国してみたら英雄どころか犯罪者並に扱われた。そのことをきっかけに戦争反対の側に回ったのだが、彼曰く、世界中で戦争を知らない子供達はあまりいない。ところが日本の子供達は不安感のないとても幸せな顔をしている。如何にも子供らしい表情をしている珍しい国なのだそうだ。そこで彼は気がついた。日本人は、日本の子供達は、戦争を放棄した平和憲法に守られているんだと。あの戦争放棄憲法がなければ日本は多くの国のように子供達に戦争を身近に感じさせてしまう国になっていただろうと。日本の平和や安全は憲法に守られて作られたんだと。  彼は今危機感を持って次の言葉を投げかけている。「今度は憲法に守られてきた人たちが、憲法を守る番」だと。