選択

 高齢者が車の運転を止めると、精神面・身体面の健康状態が低下する可能性があることが、新たな研究で明らかにされた。「これは複雑な問題だ」と、米コロンビア大学医療センターのGuohua Li氏は話す。安全のためには、多くの高齢者がいずれかの時点で運転を諦めなくてはならないが、一方でその決断は大きな影響をもたらす。運転を止めた高齢者は、社会的な孤立を感じて気分が落ち込んだり、運動量が低下して身体の健康状態が悪化したりすることがあるため、ケースバイケースで判断する必要があると同氏は指摘している。高齢者が運転を止めると抑うつが悪化する確率が2倍になることがわかった。別の研究では、運転を止めた後に身体機能の悪化や記憶力・知的能力の低下の加速が認められた。さらに、運転を止めた人は3~5年以内に死亡する確率も高かった。

丁度梅田で起こった事故の前にこの記事を読んでいたから、複雑な思いだった。全く悪意のない人でも、他者にあんな不幸をもたらしてしまうことを目撃したら、多くの高齢者が自分のことに置き換えて悩んだのではないかと思う。早速免許証を返納した人もいるかもしれない。  片やこの報告でも分かるように、運転にはあらゆる体の機能を動員するというメリットがある。肉体も精神も両方だ。精神は常に緊張状態を維持しなければならないし、肉体はそれに瞬時に応えなければならない。そんな状況はあまり他にはないのではないか。年齢を理由に許されることばかりだから、どうしても甘えが先に立ち、精神にも肉体にも同情的だ。そして他人にも自身にも又同情的なのだ。  昨日、倉敷で高速道路を降りて、バイパスを通って帰ったが、その道中で無謀な運転をいくつも目撃した。周りの人の単なる親切を自分の運転の腕と勘違いしている輩がいるものだ。恐らくその中の数人は、来年にはこの世にいないのではと思わせるほどの精神の未熟さだった。それに比べれば老人の運転などは逆に安全そのものかもしれない。スピードを出さないし、ひたすら決められた車線を一定のスピードで走るから、事故の確率はひょっとしたら低いのではと思ったりした。実際に高齢者の運転手が増え、若者の車離れが始まった時を同じくして死亡事故が減ってきているのではないか。  色々なリスクや不安を抱えながら昨日もがんばって丸亀まで行ってきたが、僕はこの程度のことが出来なくなれば多くのことを失うのではないかと言う不安を漠然と感じていた。だから丁度この研究成果を目にしたときにはしてやったりだったのだ。梅田のことさえなければ今でもしてやったりが続いていたはずなのだ。  自分の人生の質を落としたくない。人様を傷つけたくない。とても大切な選択をいずれ誰もが迫られることになる。