寒波

 ほんの数日の寒波なのに、考えることはあった。経験しないと想像力だけではなかなか本物には迫れない。  「寒さに恐怖する」正に初めての体験を言葉で表せばこうなる。実際に2度、その言葉が頭をよぎり、2度回避行動をとった。  1度目は土曜日の夜だ。仕事が済んで夕食を済ませいつものように薬局に下りてきて、雑務をこなしていた。暖房もいつものようにエアコンを作動させていた。作業していて、なんだかしんしんと冷えてくる。寒いと言うより体温を奪われるような冷え方だった。そしてパソコン画面に向かっているときに、何故かバランスを失いかけた。明らかに体が何か不調のサインを出していた。僕は慌てて立ち上がり、そこかしこを歩き回った。なんだかじっとしていないほうがよいと感じたのだ。それは程なく収まったが階下にいる事がなんだか危険なように感じた。  2度目は翌早朝だ。さんざん天気予報で脅かされていたから雪でも降っているのかと思ったら道路は湿ってもいなかった。これはラッキーとばかりにいつものように薄暗い中、中学校のテニスコートに散歩に出かけた。ところが家を出て、20メートルくらいの中学校の裏門あたりで、異様な寒さを感じた。体表が汗腺を全部閉めて熱の放散を必死で食い止めているのが分かった。筋肉は緊張し、自然に体表を狭くしようと五感がフル回転しているのも感じた。深部に閉じ込められた血液が行き場を失って激しく脈打った。「これは危ない」とすぐに引き返した。僕は意外と潔癖で、予定していたことは消化しなければ気持ちが悪いのだが、そんなことお構い無しのすばやい決断だった。自分でも不思議な決断だが、それこそ命の危険を感じたのだ。  マスコミに脅されたのではないが、確かに経験したことがないような寒さだった。温暖を売り物にする県や町の恩恵を受け続けている住民にとっては結構こたえた。そしてその時に頭に浮かんだのが、東北の地震や神戸の地震に遭遇した人達の光景だった。何故かどちらも寒い時期で、暖をとることさえ出来なかった人たちの苦痛の何百分の一でも理解できたような気がした。今までは単なる観念でしか理解出来なかったが、あの寒波の経験のおかげでほんの少しだけ判ったような気がした。