目を凝らしてみるとやはり、白いビニール袋のゴミの上にまるで保護色のような片足の犬が体を丸めて眠っていた。僕の足音に気がつくと体を起こし、僕を凝視した後すぐに逃げれるように反対側を向いた。するとコンクリートの下に広がっている、耕作を放置された草むらの中から茶色のやせこけた汚い犬が出てきて、山のほうに逃げ始めた。この犬もまたビッコで前足の下のほうがなかった。白い犬よりトラバサミで切断された長さは少なかったみたいだが、およそ走ると言うようなことはできない。人間が片足でケンケンをして進むようなものだ。なんとも痛ましい光景だ。  白の犬は先週に引き続いて2回目だから、茶色の犬ほど逃げ足は速くなかったが、茶色の犬に誘われるように山のほうに逃げて行った。ただ、僕たちが追いかけないことを知ったのか、身をすべて隠すのではなく、こちらを伺っていた。わずか2回目で慣れてくれるなんては思ってもいないが、マイナスの気温の中で生きていることに敬意を払ってやってきた人間の持参した食料を受け取ってもらいたかった。ドッグフードを数箇所に山にして置いたが近寄る気配はない。犬語が話せる妻が話しかけながら接近したが、さすがに野犬には通じないらしくて、車に退避して見守ることにした。  するとこともあろうに、カラスが2羽飛んで来て、その餌をついばみだした。慌てて妻が飛び降りてカラスを追い払った。  母を施設に見舞って1時間後、再びそこを通って餌を食べているかどうか確認した。紙コップに汲んでおいた水も確認した。どちらもなくなっていたから恐らく2匹の犬のお腹に入ったものと思う。又来週まで訪ねることが出来ないから、もう少し食べてもらおうと同じことをしたが、これまた同じように山に逃げられた。  山で見かけたこの光景を、犬猫の漢方薬を専門に作ってもらっている薬剤師に話すと、彼女は意外な事を言った。「その犬達は幸せなんではないですか?生きているんですから。恐らく誰かが世話をしているはずです」と。実は僕もそう思うのだ。食べ物や水がなくて生きていけるはずがないし、ちゃんとゴミに混じって毛布が置かれて?いた。もし誰かが不快だと感じ、保健所に通報したら確実に殺処分されるだろう。恐らくそれが分かっているから誰も通報しないのだと思う。切断された足で不自由に歩く姿を見て、それも懸命に歩く姿を見て、普通の人間なら可哀想と思う前に罪悪感を感じる。謝りたいだろう。誰もその犬を殺したくないのだ。命の「処分」なんてありえないのだ。  娘はそれらの犬を保護して、県外のある施設に依頼しようと考えたみたいだ。1匹20万円出せば、死ぬまで飼ってくれるらしい。そのことを薬剤師に僕が相談すると、その施設はそれで収入を得ている(食っている)らしくて、それこそ犬達の今の幸せを奪うことになると助言してくれた。確かに、自由に暮らしている環境から檻の中には抵抗があるし、全くの無償で、いや大いなる持ち出しで世話をしている薬剤師を身近に見ているから違和感もあった。  母を訪ねたある日、不自由な足で道路を横断しようとしているのに遭遇し、至近距離から見てしまった縁だが、犬達のために偶然僕が通りかかったのではなく、僕のために犬達が偶然通りかかってくれたのだと思う。