大昔

 日曜日の早朝はニュース番組もないから、教育テレビを見ることがある。その時間は宗教の話をしている事が多く、どんな宗教でもさすがに奥が深くつい聞き入ってしまう。この日曜日もそうだったのだが、いつもと違って岡山県と言う言葉にひきつけられた。  その日のテーマは「栄西」と言うお坊さんについてのものだったが、彼が岡山県出身と言うことだけでひきつけられた。彼についての説明はほとんど右から左だったが、二つだけどうしても解けない疑問が残った。いや、彼についてだけでなく、昔の話を聞いているといつもいつも疑問に思うことがあり、今だ解決をみない。  栄西が生きたのは1141年 -1215年で平安時代末期から鎌倉時代初期にあたるらしい。そんな時代に、仏教をもっと深く学ぶために中国に渡ろうと発想して、実際に渡って、向こうで本当に信頼できる高僧を探して教えを請い、また帰ってくる。そんなことが出来たのだろうか。何を持って向こうの水準を知り、どのような船を作り、言葉も分からないのに向こうで師を捜し教えを請い、また船で帰ってくる。今では誰でも出来ることだが、一つ一つ疑問が残る。と言うより信じがたい。  当時の中国に行けば仏教をもっと極めることが出来ると何を根拠に思ったのだろう。平安時代に、中国の人が船でやってきて、日本語を話していたのだろうか。その人に感化され中国にあこがれたはいいが、日本海を渡る船が当時日本にあったのだろうか。あったとしても、水平線の向こうに朝鮮があることをどうやって知ったのだろう。また太陽や星を見ながら航海したのだろうか。通訳もいない状態で、単身渡ってどうやって会話をしたのだろう。最初は身振り手振りで、そのうち少しずつ覚えて行ったのだろうか。  「わからん、ほんとうにわからん」牛窓のように船大工が集まるところがあって、大陸まで連れて行ってくれる人達がいて、それぞれが生計を立てていたのだろうか。1000年前といえば大昔みたいだが、実は意外とついこの前なのかもしれない。